双色の勇者

いつか果たされる約束
果たすために全ての力を尽くし
その先に何があるのか

 風が世界を巡る。
 その風を遮るものは世界には無かった。過去の堆積として現在の荒涼とした世界がある。森を失い、草原を失い、湖を失い、世界の果てに位置する山々ですらその形を失いつつあった。
 一陣の風は、だからこそ自由に世界を駆ける。何もかもを撫でながら、しかし何も構わずに過ぎ去っていく。大地の赤よりも赤い色も、破壊の惨状も何もかもを無視していく。
 だから、そこがこの世界の中で一際激しい破壊跡だとしても何も変わらない。いや、より正確を期すのならば戦場跡だ。
 何もかもを無作為に破壊したわけではなく、力が刻んだ傷痕には方向性がある。破壊跡は同心円状に密度を等しくし、ある一点を中心として距離が近づくほどに傷痕の密度は高くなっている。
 その中心には一人の男がいた。
 最早元の姿を見て取ることも出来ないほどに血と汚れに塗れている。だが、傷は一つとしてない。肢体に不備は無く、傷痕はあっても血を流しているわけではない。その戦場跡の惨状の中心には相応しいように見えて、不釣合いな姿だった。
「ぐ……ぅ」
 その姿を一陣の風が撫でた。それに応じるように身を浅く抱くように身じろぎした男が呻きを漏らす。
 短い呻きは途切れ途切れに幾つか零れたが、やがて何かに抗うように瞳が開かれる。
 その瞳は鮮やかな菫の色を持ち、血と過去に塗れた世界に唯一の輝きを見せる。
 肌で風を感じ、耳で静寂を聞き、目で世界を見た。
 両の腕に力を込め、身体を持ち上げ、順番にゆっくりと身体を起こしていく。血に固まった長い髪が視界を覆うが、乱暴に後ろでまとめた。
「俺は……」
 永い眠りから覚めた後のように意識が緩んでいる。何もかもが曖昧にしか感じられない。呆けた意識をはっきりとさせるように首を振り、周囲の戦場跡をゆっくりと視界に納める。
 赤茶けた荒涼の世界。広がる血の赤と破壊の惨状。地とは無関係に広がる蒼穹の空。
 周囲の全てを見渡すころには思い出していた。
 まるで全てが遠い日の出来事のように思えるが、昨日のことのようにはっきりと思い出せる。あの時、ここであった全てのことが。あの時、抱いた想いの全てが。
 今もあの戦いの熱を身体は思い出せる。戦いが加速するにつれ、他の全てが頭から消え去り、目の前の敵だけを殺すという一点に特化する感覚。あの瞬間、確かに自分も相手も同じものだったに違いない。だからあの場にいたのは、もしかしたら二頭の獣だったのかもしれない。同じことを思い、戦っていたのだ。
 そして勝利した。
 両腕は剣を握ることが出来ず、最後は口に剣をくわえ、それこそ獣のように相手ののど笛に剣を突き立てた。灼熱の血を浴び、相手の絶叫が身を震わせた。力なく倒れる瞬間までを思い出せば、もう十分に違いない。
 自分が誰であるか。そんなことは思い出すまでも無く確信できる。
 アズール・メーティス。
 紫紺の勇者だ。

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