双色の勇者

いつか果たされる約束
果たすために全ての力を尽くし
その先に何があるのか

 目覚め、全てを自覚したのならばこの荒涼とした世界に用は無かった。
 戻ると約束したのだ。
 あれからどれだけの時間がたったのかを知る術はアズールには無い。あの時も世界は今と変わらなかった。大地は赤く、空は青く、そして世界には何も無かった。
 ただこの胸に約束だけが残っている。
 だからアズールは駆けた。
 ここが世界のどこかも分からない。戦いの最中は無我夢中で世界の全てを戦場とした。ありとあらゆる場所を足場とし、鎖を飛ばし、剣を振るい、牙を突き立てた。
 その戦いも終わったのだ。ならば駆ければいい。目指す先が分からずとも世界のどこかにそれはある。
 地を蹴り飛ばし、身体を前へと飛ばす。ただそれだけの動作が連続すれば、風を切り裂く。さらに力を込めれば、大気が粘度を持つ壁となるが、それすらも割り砕いて進む。
 身体は十全に動いてくれる。疲れは無い。力が漲り、世界の果てまでも駆け抜けることが出来そうだった。どこまでも行ける。その確信に満ちた昂揚は身体をさらに前へと飛ばした。
 もっとも世界の果てにたどり着くことは無かった。
 アズールの足を止めた先には一つの平面がある。下手をすれば家が一軒そのまま入りかねない大きさの直立した無色の長方形があり、世界を切り取っている。その向こうを見通すことは出来ず、向こうからもこちらを見通すことが出来ない。横から見ても厚みは無く、ただ二次元的に存在している。
 それを前にして、は、と一つ息を作る。ここまで来るのに全力で走ったにも関わらず呼吸は一つとして乱れていない。
 それにもかかわらず立ち止まるのは理由がある。目の前に広がるのは門だ。向こうとこちらを隔てるものであり繋ぐものだ。この先には恐らく望んだものがあるはずだ。しかし、本当にあるのかどうかも分からない。あるいは全てが変わり果て、アズールの知るものなど一つとしてないのかもしれない。
 それでも、この先にしか答えはない。
 ゆっくりと右手を伸ばし、掌で門に触れる。門自体に抵抗は無く、触れた掌から波紋のように揺らぎが起きるだけだ。その先を躊躇わせるのはアズールの心一つ。そして進めるのもまたアズールの心だ。
「――――」
 進むのに必要なのは、さらに一つの呼吸だった。吸って、吐いて。次にはもう足を進めていた。
 門をくぐるのは水面に沈む感覚に似ていた。抵抗など無いはずだが、それでも何か抵抗を感じる。それは二つの世界の差異なのかもしれないし、未知に対する心の反応なのかもしれない。
 だが、どちらであろうとそれも一瞬のことだった。浮上の感覚は無かったが、門は背後にあった。次に足が地の感触を踏めば、何よりも先に懐かしい匂いが鼻腔をくすぐった。
 今までは考えたことも無かったが、それは確かに元の世界の匂いだった。
 ただそれだけなのに懐かしく、目に入る風景が滲む。あの赤茶けた世界が嘘だったように周りには木々の緑があり、夜天の星空が広がる。頬に感じる熱は間違いなく、泣いているのだろう。これほどに感傷的だとは思わなかったが、溢れる涙を止めることは出来なかった。
 正直に言えば、生きていられるとは思わなかった。刺し違えても勝つつもりではいた。自分の命など度外視だった。約束はあったが、それ以上に大事なものがあったのだ。
 あの時の記憶は自らが勝利を確信したところで途切れている。もうそれでもいいと思ったが、それでもやはり生を望んでいた。
 ああ、と思わず声が零れる。
「待っていてくれるかな……」
 かつての約束を胸にこうして戻ってきた。しかしまだ約束が果たされたわけではない。
 そのためにも行かなければなららない。
 一歩を踏み出せば、何かを無理やりに突き破る感覚があった。
「――え?」
 今まで一度としてそんな感覚を得たことは無かった。だが、今は確かにある。
 何が起きたのか分からないが、何が起きるかは予想がついた。
 周囲には何かを察知したのか人の動きがあり、そしてこちらへと向かってきている。
 なんで、と疑問に思う間もない。まだ現状を把握できていないのだ。余計な面倒には巻き込まれないほうがいい。何よりもアズールは言い逃れが出来ないだろう。服はもう引っかかっているだけになっており、血に塗れ、泥に塗れ、髪も髭も伸び放題だ。不審者でなければなんだというのか。
 思えば身体は動き、その場を脱した。気配を消せば、この夜陰に紛れて離れることも出来るはずだ。
 その動きの中、思うことは一つ。
 バーキアは今も待ってくれているだろうか。
 あちらとこちらでは時間の流れ方が違う。既に時間の感覚の無かったアズールにはあれからどれだけの時が流れたのかも分からない。
 どちらにせよ確かめようが無いのならば後は信じるしかない。
「――行こう」
 自らに告げるようにアズールはさらに走り出す。
 いるとしたらあそこにいるはずだ。
 願いと共に夜の世界を風は巡る。

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