双色の勇者

いつか果たされる約束
果たすために全ての力を尽くし
その先に何があるのか

 互いに再会を果たした後、騎士たちにはバーキアが説明し、防壁が一部解除されてようやくアズールは街へと足を踏み入れた。久しぶりの人の街だ。深夜を既に過ぎているが、人の流れは疎らにある。騎士の渡してくれた外套がなければ、また一騒動起こっているところだったろう。
 外壁で周囲を多い、通りによって区画整理された街が同心円状に並び、その中心には高く城が聳えている。今も昔も変わらないセンチアレス王国の中心だ。城自体には大した思い出はないが、見るもの全てが懐かしいとさえ思える。それほどに愛国心があったわけではない自分にとっては驚きだった。
 そうやって街を見渡していると、
「いや、しっかしすごい匂いだね」
 背後からバーキアにきつい一言を浴びせられた。
 自分では気にならないが、確かに匂うのかもしれない。そんなことを考えるまでもなく身体が動き、ここに来ていたのだから。確かに街の中では不適当かもしれない。どこか適当なところで水を借りなければならない。
「とりあえず家へと案内するよ。そこでなら湯もあるし」
「家!? 湯!? いつの間にそんな――!」
 思ったが、それだけの時間が経っているのだろう。かつてと同じようにバーキアは苦笑と共にアズールの隣に立っているが、その姿は最後に見た姿とは異なる。初老と現してもいいその姿からは、取り戻すことの出来ない時間の流れを感じる。
 あれからどれだけの時が経ったのか。尋ねてしまえばきっと答えてくれるだろう。しかし、それが本当に正しいことなのかどうか分からない。知ってしまえば何かが変わってしまうのではないのか。そう思えば恐怖が先に立つ。
 だが、問わずにいれば常に怯え続けなければならない。
「あれから……何年が経ったんだ?」
 知らずに目を背けていけば、きっといつか後悔する日が来る。だから知っていこうと思う。
 その問いに対してバーキアは、一つだけ息を挟み、答える。
「五十年、だね」
「……そんなにか」
「あっちとこっちではおおよそ十倍ほど流れが違う。勿論程度さはあるけどね。だから、こっちで五十年経っている間に君は少なくとも五年の時を過ごしていたんだ」
「五年か……」
 アズールの感覚では戦いが終わったのは昨日のようなものだ。気を失い、目が覚めれば今日だったのだから。しかし、バーキアの言葉が正しいのならば五年もの間ずっと気を失っていたことになる。そんなことが本当にあるのか。自問するが、答えは現実の通りだ。あるから、今ここにいる。
「随分と長く寝てたようだな」
「おかげで君が今ここにいられるんじゃないかな? ほら、血で汚れてるけど、傷はもう塞がってるみたいだし。別に自分でやったわけじゃないんだろ?」
「お――」
 言われて初めて気付いた。そういえば五年も寝ていたにもかかわらず、起きて直ぐに問題なく身体も動いた。何があったかは知らないが、何かがあったのだろう。それが命をつないだに違いない。
 あの時は確かに自らの死を確信していたのだから。
 しかし、その傷ももう塞がっている。
「あれから一日で僕たちも再編を終えて直ぐに戻ったんだけど、君の姿がどこにもなく……それから三日間探し続けたけど、君だけはなく獣の姿も見つけることは出来なかった……」
 隣を歩いているバーキアの表情を確かめることは出来ないが、声に力が無いのは分かる。
 恐らくは悔いているのだ。探し続けたかったが、それを許さない現実があり、それを選んだことに。
 バーキアは勇者だった。そして守るべきものがあり、戦わなければならなかった。
 友である自分を放っておくことを選んでも、やり遂げなければならなかった。
 だがしかし、きっとアズールも悩んで悩み抜いてそうするのだと思う。
「気にするなよ」
 だからこれはアズールの役目だ。
「少しばかり遅れたが、俺はこうして約束を果たしたんだ。お前は待つと言って、俺は行くと言ってな。なら、何の問題もないさ」
「……そうだね。僕もそれを信じていた」
 お互いが対等である。それこそが友なのだと思う。
 そしてアズールとバーキアは友だ。ならばどちらが上でも下でもいけない。
 互いに背を叩けば、それで全てはよしとなる。
「しかし、となると結界を破ったのは君か」
「ん? 何の話だ?」
「夜も遅いし、僕も寝たんだけどさ。向こうとこちらをつなぐ門を閉じていた結界が破壊されたって連絡が入ってね。それも向こう側から。当時を知らない人も知る人もみんな大慌てで騎士団と共に僕が出ることになってたんだよ」
「……そのときにちょうど俺が現れたわけか」
「一応説明はしたからもう大丈夫だと思うけど、いやいや久しぶりに僕も焦らされたよ。出来れば帰還の報せはもっと穏便なほうが嬉しいね」
「おお……」
 割合洒落にならない事態がアズールの与り知らぬ場所で動いていたことを今ようやく知る。もしかしたらあの時に判断を誤っていれば討伐されていたのかもしれないと思うと背筋が凍る。
 再会も果たせずに友の手で死ぬかもしれなかった。
 ぞっとしない話だ。
「――お、何だあれ。すっげー家」
 だから努めて話をずらす。
 注意がバーキアから街へと再び向けば、向かう先にあるのは豪邸と言っても差し支えのないだろう邸だ。通りを進み、噴水のある大広場を抜け、富裕層の中でも特別な者たちが住む一角にそれはある。周囲の建物に比べても十分に遜色はないが、目を引くのはその真新しさと白さだ。周囲に色のある建物の中で白亜の邸が佇むのは、それだけで目を引く。
「おいおい、見ろよバーキア。何だぁ、あのいかにも権力持ってます的な家は!? 貧乏なやつらに対する嫌がらせか!? それともこの高みまで頑張れよ的な婉曲な激励か!?」
「……いや、単に今までもらったことがないような金を手に入れてちょっと贅沢してみただけじゃあないかなぁ」
 声に力がないことぐらい聞けば分かる。だから横を向いてバーキアを確かめると、初老の顔を伏せて眉を下げていた。
 おいおい、と言葉を続けようとしたが躊躇わせる空気がそこにはある。富裕層に場違いな自分が叫んでいることに対する顰蹙かとも思ったが違う。それならばバーキアは注意するはずだ。
 そうであるのならば、何がこの空気を作っているのか。
 アズールは貧乏だった頃の気持ちであの邸を非難したが、バーキアはどうなのか。上等な導師服を身に着け、髪も丁寧に手入れされ、さらには騎士たちを率いることのできる立場にいる。
「あれはお前の知り合いの家か?」
「いいや……」
 その質問で一つの答えが浮かび上がる。
 もう昔とは違うのだ。
「……お前のか?」
「……うん」
「…………」
「…………」
 気まずいことこの上ない。
 別に卑下するつもりで言ったわけではないのだが、それでもバーキアにとっていい気分ではないだろう。バーキアも頑張り続けて今の立場にいるのだ。その結果の一つとしてある邸を非難されていい思いであるはずがない。
「あー……その、なんだ……」
「いやいや、気にしないでもいいさ。確かにちょっと調子乗ってたかもしれないしね」
「というか、バーキア。あんな家を建てられるほどに偉くなってたのか!?」
「ああ、うん。一応あの戦いからこっち、色々な功績を認められてこの国の筆頭魔導師だよ」
「おお、すげえな! おい!」
「だから、その筆頭魔導師の隣にきつい匂いさせるのがいたらまずいんだよね」
「……怒ってるのか?」
「怒るはずがないだろう?」
 少なくとも笑みで告げられる言葉に先ほどまでの優しさが抜け落ちていることは分かった。背を見せて白亜の邸へと歩を進めるのは、軽い拒絶なのかもしれない。
 些細なことだ。些細な失敗だ。
 だからこそ失敗した。素直にそう思う。
 あれから五十年だ。もう自分を知っているものも少なくなっているだろう。あるいはもう自分は過去なのかもしれない。現在のものたちに歩み寄ろうとすれば、間違いなくそこには超えることのできない壁を見つけてしまうのかもしれない。
 この先も近くにいればいるだけそれを感じてしまうだろう。
 アズールはバーキアの五十年を知らない。それは確かな事実であり、二人の隔たりでもある。それは事あるごとに二人の間に現れ、その度にずれを感じさせるに違いない。そして昔とは違うことを思い出させるのだ。
 昔とは違うことを互いに感じて気まずくなるだけならば、
「――――」
 離れたほうがいいのかもしれない。そうすればこれ以上のすれ違いは起きないはずだ。
 随分と弱気な自分に驚くが、無理もないことだと一方で理解してしまう。
 思ってしまえば、足は動かなかった。粘つく嫌な汗が身体の表面を滑り、逃げ出してしまいたくなる。きっとその時には足は動くのだろう。
 かつては幾つもの戦場に立ち、幾つもの死線を潜り抜け、果てには獣王との一騎打ちでも渡り合ったというのに。ただ一人の友の背を見せられることがこんなにも辛い。
 考えるまでもなく理由は分かっている。戦いには常に仲間と友がいた。共に戦うものたちがいたからこそ戦ってこられたのだ。この現在に至るまでの勝利は決して一人で手に入れたものではない。
 五十年。改めて思えば、その距離は今のアズールとバーキアの距離なのかもしれない。
「遠いなぁ……」
 止まらぬ背を見て思う。きっとアズールが五年の時を止まっている間にバーキアは一人で五十年をそうやって歩いてきたのだ。
 止まっていたものと歩み続けてきたもの。
 その差はどうすれば埋まるのか。アズールには分からない。
 ただその五十年の中でバーキアが隣にアズールがいないことを少しでも悲しみ、寂しく思っていてくれたのならば、もうそれだけでもいいとも思う。
 バーキアの無事と国の健在だけでも確かめられてよかった。
 踵を浮かせ、重心を後ろにずらし、音もなく立ち去る。
「アズール」
「――ッ!」
 家の扉に手をかけてバーキアが振り返る。
 その瞬間、アズールの動作の一切はバーキアの言葉に縛られた。特別なことは何一つない。ただ名を呼ばれただけだ。行こうと思えば今からでも行けるはずだ。
 それなのに足が再び動かなくなっているのは、行きたくないからだ。
 行きたいはずがない。離れたいはずがない。
 そんなに郷愁の思いは軽くない。
「どうしたんだ?」
「……いや、どうもしねえよ」
「なら早く来なよ」
 扉を開けて、
「いつまでも僕の親友にキッツイ匂いさせてられないからね」
 バーキアははっきりと告げる。
 アズールを親友だと。
「はっ……」
 身体は未だに動かなかった。
 代わりに心が震えている。
 あちらからこちらへと来た時よりも。バーキアと再会した時よりも。街へと入った時よりも。
 他の何よりも心の動きが大きい。呼吸するだけで胸が熱くなる。何かを言いたいが、言葉が熱に煽られて上手くまとまらない。
 だから言葉は胸の内に作った。
 五十年の壁。それはもちろんあるのだろう。無視することができないほどの隔たりなのかもしれない。お互いの変化も確かにあるものだ。
 しかし、一人では難しくとも二人が手を伸ばせば超えられると。
 そうやって今まで幾多の危機を乗り越えてきたのだ。
 隣に立つ友と共に。
 ならばきっと些細なことなのだ。些細なことを繰り返して新しい互いを確かめ合っていくことができる。
 そう自惚れる程度にはバーキアを信じられる。
「恥ずかしい奴め」
 ふは、と口が開き、笑みが零れる。それを自覚すれば、口の端を吊り上げ獰猛な笑みを自ら作る。髭が痛いが構いはしなかった。
「なっ!? 僕なりの気遣いを――」
「気を遣われるほど弱っちゃいないさ。それに人を臭いと言うのは気を遣っているのか?」
 笑みでたった数歩を行く。
 それだけでバーキアの隣に立つ。
 つまりはそれだけのことなのだ。
「どれ、お邪魔しようかな。筆頭魔導師様のお宅へ、よ」
「遠慮することはないさ。半分は君のものだ」
「そりゃ気を遣わなくていいな」
「君にそんな繊細な対応は端から求めてないよ」
 互いに笑みを見せ合えば、もうそれだけでよしとなっていた。

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