双色の勇者

いつか果たされる約束
果たすために全ての力を尽くし
その先に何があるのか

 翌日。窓から差し込む日の光が室内を照らし、徐々に大きくなる喧騒が窓を叩き、その刺激から逃げるようにアズールはベッドの上で身を丸める。ベッドは暖かく心地よい。安眠から離れようとするなど馬鹿のすることだと思いながら、努めて意識を手放そうとする。
 だが、ベッドの心地よさと身を満たす充足感に違和感を得る。疑問が頭を上げれば、言葉にもなる。
 どうして自分がそんな境遇にいるのか?
 意識は一瞬で覚醒し、ベッドから跳ね起き周囲を警戒する。一般家屋から比べれば十分すぎるほどに広い部屋にベッドとテーブルと椅子が二つ。他にも室内の調度品は質が高く、毛足の長い絨毯に足をつければ柔らかく体重を受け止められ、窓の外からは手入れされた庭園が見える。
 金持ちか!? 金持ちだな!
 一般庶民だったアズールにとって金持ちとは無闇に敵愾心を抱く程度の存在だ。苦労なくその立場にいるわけではないだろうが、何となく相容れない気がする。とにかく何か損をさせてやろうと思うと、自ら身に着けている寝巻きが目に入る。
「ん?」
 摘んでみると上等なものだと分かる。肌触りがよく通気性もいい。相応に高価なものだろう。物の価値は金だけではないが、一つの目安には違いない。何故だ、と頬に手を当ててみれば、
「ああ、そういえば――」
 ようやく全てが思い出される。
 ここはバーキアの屋敷だ。昨夜は色々なことがあった。目が覚めて、戻ってきたら五十年が経っており、バーキアは金持ちになっており、湯殿があり、侍女がいた。
「…………」
 服を引っ張って隙間から股間を覗けば、夢ではなかったことが分かる。綺麗だ。
 あの後は精も根も尽き果て、会話も早々に切り上げて用意された食事と酒を食べて直ぐに寝たのだった。妻を紹介すると言われていたが、それも後日にしてもらった。
 思い出せば、わざわざ眠りなおす気もなくなる。折角この世界にいるのだから、色々見て回りたい。
 そのためにもまずは朝食だろう。窓から覗く日の光を見れば、もう昼にさしかかろうという時間かもしれないが、起きて初めに食べるのは朝食だと思う。一日の活力は朝食からだと誰かも言っていた気がする。
 しかし寝巻きのままで部屋の外を歩き回るのはまずいのかもしれない。バーキアだけだったら大目に見てもらえるだろうが、奥方も侍女もいる。流石に礼を弁えない客人として振舞うわけにもいかないだろう。
 さてどうするか。悩んだところで着ていた服はもう服としての役割を果たしていなかったので処分されたはずだ。寝巻きのままでは駄目だとするのならば、つまりこの部屋から出られないことになる。
 そんなまさか。
 思うが、状況は打破されない。よく分からない焦燥を感じながらも、部屋をもう一度見渡す。箪笥のようなものはなく、完全に客室となっている。服を拝借するという考えもこれで潰えた。いっそのこと窓から抜け出して、街で服を調達するか。そこまで考えたが、金がないことに今度は気づく。
「おいおい……」
 呆然とした呟きは誰にも拾われることなく柔らかな絨毯の上へと落ちる。毛足の長い絨毯は柔らかく受け止めるだけで、打開策を返してはこない。埒の明かない状況のままに腹は空腹を訴え、アズールの身体から力を奪う。
 ベッドに力なく腰をかけると、もうどうでもよくなってくる。寝れば空腹も忘れられるかもしれない。
「失礼します。アズール様、お目覚めになられましたでしょうか?」
 そう思っていると、扉が叩かれ、昨夜の侍女の声が聞こえる。
「はい、起きてますっ」
 昨夜のことが無意識に思い出され、声が上滑りする。格好悪いと自覚しながらも咄嗟に扉を押さえる。部屋に入れれば何をされるか分かったものではない。勇者である以前に、男としての誇りと意地にかけて二度とあのような失態を犯してはならない。
「お目覚めになられましたか。旦那様がどうせ昼まで起きないと思うからというのは正解でしたね。余計な手間が省けて素晴らしいです」
「一応客人だからね俺!? 手間とか言わないで欲しいなぁ!」
「それよりもアズール様。旦那様より預かっているものがあるので扉を開けてもいいでしょうか?」
「バーキアから? 何?」
 しかし扉は開けない。警戒を解けば、その隙に何をされるか分かったものではない。
「開けてくださらなければ渡せません。何より主人のものを勝手に見ることもできません。つまり開けてください」
「ぬぅ……少しだけだからな」
 扉を押さえる手を緩めれば、本当に少しだけ開き、その間から布の包みを差し出される。
「何だこれ?」
 問うも、侍女が中身を知っているはずもないだろう。無造作に包みを開けてみれば、紫紺の色がそこにはあった。肩の高さでゆっくりと重力に引かれてそれは全身を見せる。
 服だ。それも当時アズールが好んで着ていた意匠のものだ。
「服が出てきたんだけど、これ着ていいの?」
「勿論です。何でしたらお手伝いしますが?」
「いっ、いや、いいよ。一人でできるから大丈夫!」
「そうですか」
 袖を通せば多少の遊びはあるが十分に合う。腰の後ろまで伸びてしまった髪を包みに添えてあった紐で首の後ろで一本にまとめれば完成だ。伸び放題だった髪も髭も昨夜に手入れされ、新たな服を着れば何だか清潔な気持ちになる。
 これで外に出ることができる。
「どう?」
「大変よくお似合いです」
 扉を開けて侍女に問えば満足げな頷きを返答として得る。
「この服どうしたの? 昨日の今日でいきなり用意はできないと思うけど」
「旦那様が、いつアズール様が戻ってきてもいいようにとかねてより準備してあったものです。古くなるたびに何度も作り直しをされていましたが、ばっちりのようで私も安心です」
「バーキアが……」
 誰かにそれほどに思われるというのは嬉しいものだった。それが形として分かるというのも嬉しさを増す。鼻の奥が刺激され、思わず涙が零れそうになる。昨日から涙腺を刺激されてばかりだが、人の前で涙を見せるわけにもいかない。
「よっし。んじゃ、バーキアにいっちょ礼でも言ってくるかな」
「旦那様は朝早くに城にお出かけになられました。代わりにこれを預かっております」
 渡されたのは小ぶりな袋だ。中身を確かめればセンチアレス王国で流通している貨幣が詰まっている。
「夜には戻ってくるから街を見ておいでよ、との事です。なおくれぐれも問題を起こさないようにとも仰せつかっています」
「……お見通しってわけか」
 流石に天気のいい日に邸の中でじっとしていられる性分ではない。そして遊ぶためには金が要る。何から何まで世話になりっぱなしだ。
「せめて奥方に挨拶はしたほうがいいのか?」
「奥様は現在体調が優れず人を遠ざけておりますので」
「何だ、残念」
 昨日も結局は顔を合わせることも挨拶することもできていないが事情が事情だ。仕方ないだろう。無作法かとは思うが、またいずれ別の機会があるはずだ。
「んじゃ、朝食を食べたいんだけど……?」
「世間一般では昼食というものであれば準備してあります」
「お願いします」
 新たな一日がこうして始まる。

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