双色の勇者

いつか果たされる約束
果たすために全ての力を尽くし
その先に何があるのか

 日が沈み、アズールが帰路を何とか思い出してバーキアの家に着くとバーキアは既に戻っていた。食事の用意の最中だったので何とか夕食には間に合い、バーキアと面を合わせて席に着く。昨夜は体力が尽き果てた状態だったので、再会して以来バーキアと落ち着いて囲む始めての食卓だ。給仕には見た顔のある侍女がついてくれている。
 昨夜とは違うメニューだが、やはり酒も料理も普段口にすることのなかったものばかりだ。舌鼓を打てば、口も軽くなる。
「奥さんは? 倦怠期か?」
「夫婦仲は円満だよ。どうにも体調が優れないみたいでね。お互い年だし」
 いない姿を探すが、いない。いい加減挨拶できるかと思ったが、今回も無理なようだ。
「お前が年なのは知っているが、相手は幾つだよ?」
「えーと……あの戦いが終わってしばらくしてからだから、そんなに年は違わないかな。彼女も力はあるほうだから身体の衰えもそんなにないんだけどね」
「夫婦そろってそれは子供の将来が有望だな」
 遺伝によって力が受け継がれるかどうかは実際のところ確たる証拠はない。あくまで経験則でそうかもしれないと思われているだけだ。しかしアズールの知る限りであれば、それは概ね正しいと思っている。
 もっともアズールもバーキアもその例からは漏れている。どちらの両親も知っているが、二人のようにはっきりと目立つ色は持っていなかった。特異とさえ取れる二人の色は力の証だ。
 力は想いによって左右される。その想いは千差万別にして同一のものは二つとして存在しない。そして想いは力として顕現する際に特有の色を見せる。本来はそれほどに強く色を見せるものではないが、稀に強い力の持ち主はその瞳や髪に色を見せる。紫紺や赤橙などの名はその色に由来している。
 人種によって肌の色や瞳と髪の色も違ってくるが、その上に力という色は現れる。だから強い力を持つものは早い段階でそれが分かる。勿論、確実にそうなるわけでも、実際に強弱が決まるわけではないが、一つの判断材料となる。
「息子もそれなりに強い力を持ってたけど、孫が凄かったね。昔の僕にそっくりな色しててさ。うん、あの時は遺伝って言葉信じちゃったよ」
「へえ、それでそいつらは? 邸の中では見かけないけど」
「息子はもう家を出たよ。何でも親の七光りの中にいたくないらしいよ。今は城で働いてるけど」
「なんだそりゃ。教育を間違ったんじゃないのか?」
「まあ、僕の名が無関係だとは思わないけどね……」
 勇者であり筆頭魔導師の息子だ。ましてや同じ国の同じ街にいればかかる重圧は相当なものだろう。だが、バーキアの子として生まれた以上は一生付き合っていく問題だ。潰れていないだけでも大したものなのだろう。
「けど、それなりに頑張ってるよ」
「そりゃいいことだ。で、孫のほうは?」
「今は放浪中」
「はあ?」
「僕が冗談交じりに昔のことを話したら何だか真に受けちゃったみたいで、国の内外を問わずに放浪して見聞を広めてるらしいよ。ちなみに最後に会ったのは去年」
「お前は孫に何教えてるんだよ」
「うん。妻や息子夫婦にも同じこと言われた」
 言葉とは裏腹にそう言うバーキアは楽しそうだった。期待しているのかもしれないし、してないのかもしれない。しかしかつてバーキアが戦いのために放浪した時とは違う、平和の時代を放浪した果てに何を見つけるのかをきっと楽しみにしているのだろう。
 そう思わせるほどには初老の男の表情が子供じみて見えた。
 戦ってばかりの頃はこうして語り合うことも少なかった。話す内容にしても次の戦いに関することばかりだった気がする。双色の勇者となってからはそれも顕著となり、いつしか当たり前の言葉さえも交わすことがなくなっていった。
 それでも誰もが夢に描いていた平和はここにある。
「そういえば……」
「うん?」
 思い出した。
「俺って死んでるんだって?」
「あー、聞いた?」
「街で、な」
 酒杯を傾けてバーキアは表情を隠そうとするが、眉尻の下がりまでも隠すことはできない。そういう表情を見せるということは、自分の力ではどうにもならないことだったのだろう。常に全力を尽くす男だ。
 別段責める気もなく興味本位だと分かってもらうために声を意識して和らげる。
「尊い犠牲だと言われたよ」
「あっちの世界ではもう脅威を確認できなかったとはいえ、こっち側でも人外の獣の残党が残っているし、同時に紫紺の勇者の生存も絶望的だった。だから国は勇者の犠牲を祭り上げて、報いなければならないと知らせたんだ。おかげで赤橙の勇者はさらに祭り上げられて、過酷な戦場へと真っ先に送られることになったよ」
 アズールは五年を独り眠っていただけだが、バーキアは五十年を戦い続けた。そして今も戦い続けている。どちらが辛いかなどとは比べることでもないが、現在の結果に伴うだけのものがそこにはあったはずだ。
 酒杯を卓に戻して見せる表情は力のない苦笑。仕方がなかったと笑うしかないのだろう。初老の顔に刻まれた皴はまるで年代記のようにバーキアの人生を物語っている。
「僕も当時は今ほど力もなく国に担がれるだけの存在だったからね。いくら君の生存を信じていようと、国の発表を覆すだけの力もなかったし、混乱を招くことも出来なかった」
「お前だけでも俺を信じてくれていたならば幸いだよ」
「僕だけじゃないさ。当時の仲間はみんな信じてたよ。あの童貞が女を抱く前に死ぬはずがないってみんな言ってたよ」
「……その信じ方はあまり幸いとは言いがたいものがあるな」
「けど、……もういないんだ。戦いの中で、あるいはこの五十年という時の中で、みんな僕を残して死んでいったよ」
 元は志願兵の一団に過ぎなかった。それが勇者と呼ばれるものを二名も輩出しては、最前線へと送られるしかない。勇者の率いる一団こそが最強だと民衆はそう信じ、国はそう作り上げる。だから誰も彼もが過酷な戦場へと行くしかない。逃げ出しても、受け入れてくれる場所はなかっただろう。何故ならば、逃げるものなどいないはずだと信じられているから。
 そうして、ただの志願兵に過ぎなかったものたちは、幾多の戦場を経て強者となるか、死んで過去となるしかなかった。
 過去の果て。孤独な現在にバーキアは一人立っている。
 アズールもまたバーキアを独りにさせたものの一人だ。直ぐには言葉が出なかった。
 その沈黙の空白を埋めるようにバーキアは酒杯を呷ると共に言葉を継ぐ。
「後は頼む。そして託して悪いとそう言ってね。……おかげで僕の背には色んなものが盛りだくさんで、もうどれが僕の想いだったかもわからないぐらいだよ」
 それは赤橙の勇者の愚痴だったのかもしれない。勇者として祭り上げられ、その胸の内を語ることの出来るものたちでさえもバーキアに託して死んでいった。誰にも見せることの出来なかったバーキアの弱さなのかもしれない。
 双色の勇者と呼ばれようと初めはただの人間だった。つまらない望みと身近な誰かを守るために戦っていた。しかしいつしか力が守るべきものの数は増えていき、祭り上げられてからは見ず知らずの誰かのためのものとなっていた。最早個人の思惑など関係なく戦い続けなければならず、やめることなど許されずに呪いのような期待はさらに増えていった。
 本当に自らがそれだけのものを担えることなど分かりはしないままそれは連鎖していく。
 そしてバーキアは五十年を戦い続けた果てに独りとなった。いや、正確には独りではない。周りには妻がいて子も孫もいる。しかし隣に立ち、理解しあい、支えあうことの出来るものは誰一人としていなかった。
 戦いの果てに上り詰めた高みは、対等なものが誰もいない孤高だったに違いない。
 そこにあるものの全てを理解することはアズールにも出来はしない。何故ならばアズールは独りではなかった。常にバーキアを初めとした仲間たちと共に戦っていたのだ。対等な誰かがいてくれたのだ。
 だからアズールには分からない。
 ただ一人で戦い抜いてきたバーキアの心の内は分からない。
「そうだな……」
 しかしアズールはここにいる。
 ここに戻ってきた。
「確かに俺は待たせたけどよ。戻ってきたんだぜ、親友。一人で重いんなら俺が手伝ってやるよ。昔っからそうだったろ?」
「……そうだね」
 一息。それだけでバーキアは笑みを見せる。
「いつも二人でやってきたね。僕の出来ないことを君が。君の出来ないことを僕が」
 アズールもまた笑みと共にバーキアと酒杯を重ねる。陶器の澄んだ音が室内に静かに響いてささやかな鐘を鳴らす。
「それによ。俺たちがいつまでも現役にいちゃあまずいだろ? 後進に見せ場を譲ってやらないと後ろから刺されちまう」
「そうだね。いつまでも生き続けられるわけじゃない。だからせめて満足に笑って死にたいものだね」
「死ぬ心配までしろとは言わないがな。だが、それがきっと幸せなんだろうな。自分の人生を振り返って笑えるってのはよ」
「君のご両親や僕の親もよく言ってたよ。もっとも最後まで君の心配をしていたけどね」
「ああ、最後まで心配かけちまったか」
 勇者と祭り上げられたときも親には心配されてしまった。国の希望であるよりも、子の心配が先立ってしまったのだろう。いい親だったと思う。勇者となってからはもう滅多に会うことも出来なかったが、最後まで勇者ではなくあの人たちの子供だったのだ。
「……お前が面倒をみてくれていたのか?」
「うん。僕の両親と一緒に王都でね。本当はこの家も皆が住めるように大きく建てたんだけど、間に合わなくてさ」
「報告しに行こうぜ。皆によ。お前の隣に俺が戻ってきたってさ」
 空になった酒杯に侍女の注ぐ琥珀が満ちる。揺れる水面に映る表情は泣いているようにも笑っているようにも見えた。死者が何かを思うのかなどとアズールは知らない。夜空に星として輝き、見守っていてくれているのかもしれない。実際は違うのかもしれない。
 けれどきっと想いは届くと信じている。
 だからこそこうして約束を果たせたのだ。これからを作っていけるのだ。
「まあ、けど、いつまでもお前の世話になってるわけにもいかないよなぁ」
「別に構わないけどね。僕の得た財産の半分は君のものみたいなものだし」
「俺が遊んでいる間にお前は働いているのに? 流石にそれは俺でも遠慮したいぞ。どっかに仕事ないのかよ?」
「無いこともないけど、……そんなに直ぐに働きたい?」
 問われれば、答えは否だ。別に食うに困らないならば正直なところ働きたいとは全く思わない。そもそも義勇団に入ったのでさえも極論すれば職にありつこうとしたのが動機だったのだ。
 しかしそうもいかないとも思う。バーキアとは違ってまだ自分は肉体に衰えもない。バーキアにこの五十年を背負わせたのだから、次は自分の番だ。
「まあ、直ぐに準備できるわけでもないし。もうしばらくは今を楽しんでればいいと思うよ」
「お前がそう言うならお言葉に甘えようかな」
 酒と共に飲み込んだ提案は酔うほどに甘かった。

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