双色の勇者

いつか果たされる約束
果たすために全ての力を尽くし
その先に何があるのか

 翌日、アズールは特に何も考えていなかった。
 朝は普通に起きて、侍女に給仕をしてもらいながら一人で食事を済ませた。
 昼は街へと出て、もらった金で適当に過去と現在の差異を楽しみながら散策した。
 夜は帰ることも忘れて、酒に溺れた。
 しばらく飲んでいなかったし、しばらく起きてもいなかったのだ。久しぶりに飲んだ酒はバーキアにあわせていたために、それほどの量を飲んでいない。だからか忘れていても当然かもしれないが、ようやくアズールは思い出していた。
 自らが酒にそんなに強くないことを。
 ただ好きなのだ。
 思い出した頃には、もう自分がどこで飲んでいたのかも思い出せなかった。目の前に座っている誰かが先ほどまでいた誰かだとは確信が持てない。男だった気もするが、女だった気もする。恐らくは人間だったはずだ。そんなことが頭の中で回るだけ回って形を持たないまま意味の無い形を成し、それでも酒を注がれたので礼儀のように干す。
「いやあ、ありがたい。じゃあ俺も……」
「これはこれは……」
 頭は回るが、手はきっちりと酒を相手に注いでいた。
 そのままお互いが酒を注いでは干すだけの時間が続く。店には他にもいるはずだが、アズールの目の前に座っているのは一人だけだ。そしてどれだけ杯を干してもアズールだけが揺れて、目の前の相手は揺れない。
「それで、どうするつもりですか?」
「何が?」
「勿論、この後のことですよ」
「あんまり後のことまで考えるのは好きじゃないんだけどなぁ……働くんだろうなー」
「どこでですか?」
「そりゃあ、ここでだろうよ。俺はそのために戻ってきたと言っても過言じゃない」
「センチアレス王国で? ご冗談でしょう」
「俺は冗談を言うときは、時と場所を弁える」
「なら、まさかバーキア筆頭魔導師の元ではないでしょうね?」
「隣と言って欲しいね。もっとも地位の差は歴然としているけど」
「本心で言っているのですか?」
 目の前の相手が何を言っているのかアズールには理解できない。
 本心も何も、全てはそのためにあったのだ。そのために過去を越えてこられたのだ。
 心身で勝る人外を相手にし、幾多の戦いの中で仲間を失っていこうとも、どれだけ絶望的な状況だろうと、それでも諦めなかったのは今日という現在から繋がる未来を信じていたからだ。
 そこに冗談や嘘が入り込む余地は無い。
 アズールの心は一片の曇りなく、真実だ。
「嘘だ」
 それなのに目の前の相手の言葉が心を揺らしたのは、酒のせいに違いない。
「そんなことになれば周辺国を含めた力関係が一気に転じてしまう。バーキア師がどれだけの力を持とうと、所詮は個人。文武を一人で担うことは不可能だったからこそ、この国の力はそれほど増大しなかった」
 そう。たった一人で国の全てを変えるなど不可能だ。
 それがたとえ勇者と呼ばれるものであろうとも。
 しかし、一人ではなく二人ならば。
「そうなれば話は別だ。あなたが武を担うことによって彼は国内の平定に専心し、国力が増す」
「結構なことじゃないか」
「この国は既にあちら側をも手に入れている。ならばどうなるか。強国の台頭を恐れる国は同盟を組み、立ちはだかるでしょう」
「そんなの歯牙にかけねえよ」
「その通り。あなた方の敵ではないでしょう。いくら国という組織が強大であっても、あなたたちもまた国の力を持って対峙する。そしてその先頭に立つのは、かつて人外を相手に勝利し、栄光を手にした勇者だ。まず他国に勝ち目は無い」
 そうなればどうなるのか。
 政治というものを知らないアズールには分からない。
 だが戦いというものを知っているアズールに分かることは分かる。
「勝てないなら勝負を避ける。自らが勝てる場に引きずり出す」
「その通り。それを平和と呼ぶかどうかは知りませんが、しばらくは静かな時が続くでしょう。少なくとも国同士の争いは無益とされる日が来る」
「別に何も問題は無いだろう――」
 瞬間、心が跳ねたのをアズールははっきりと自覚した。
 それがどういう意味なのか理解はできない。
 ただひたすらに不快だった。
「本心からそう仰っていると?」
「当たり前だ」
 不快な感覚は無視した。
 平和の何が悪いのか。何も悪くない。素晴らしい。そこに揺れる要素などひとつもない。
 きっと酒が悪いのだ。
「判断材料がまだ足りていないようなので差し上げましょう」
 いらねえ。そう言ったはずだが、相手の言葉は止まらなかった。
「人外は陣をなさない。だからこそ人はそのたった一分の隙を突き、戦術というものを確立してきた。そして辛くも勝利を――少なくとも相手に敗北の可能性を与える位置にまで到達した。果てには、群れを形成して狩をするあの獣たちを相手にも勝利を収めた」
「あいつが第一人者らしいじゃないか。友の一人として嬉しい限りだ」
「ええ、素晴らしいことでしょう。バーキア師の尽力ために人は一つ進んだといったとしても過言ではない」
 その下にどれほどの過去が堆積しているのか。
 その事実を全て知っていてなお、そう言っているようにアズールには聞こえる。
「そうして得た戦術を次は人同士の戦いのために用いる。初めは人外から人を守るために築き上げたものを、今度は人が人から奪うために使うわけです」
「……それ以上を語るのならば、よく考えることだな」
「無論。私の言葉は全て、考えに考えつくされた上でのものです」
 ならば止まる道理が無い。
「自らの欲のために、人が人から奪うとき、人はきっと次の段階へと至る」
 託宣だとしても大げさだ。アズールにとっては胸糞の悪くなる話でしかない。
「だけどあなたがバーキア師の隣にいれば、それもなくなってしまう。絶無となるわけではなくとも、それだけ歩みは遅くなる」
「騒乱こそが人の歩みを進めるとでも言いたげだな」
「いいえ。そうだ、と言っているのですよ」
 人の命を贖いとした進歩。
 目の前の相手は本当にそうだと確信している。
 人の命を徒に失わせないために。人が人として生きるために戦ってきたアズールたちとは真っ向から反する考え。
 自らを正義と騙るつもりも、相手を悪だと断じるつもりも無いが、それでも唯一確信することはある。
「それを良しと語るのならば、俺と貴様は相容れない」
「そんなはずは無いでしょう?」
 相手が誰だか分からないのだ。その瞳がアズールの心を覗くはずがない。
 だが人の理など軽がると超越して、心の奥底へと相手の感覚が伸びる。
「あなたは心底の騒乱を望んでいるはずだ」
「――黙れよ」
 酔っていた。
 だが染み付いた感覚が鈍るわけでも失われるわけでもない。相手の感覚は紙一重で交わしていた。礼を逸した行いに、行儀よく付き合うつもりも無い。
 だからといって平常の街の中、バーキアの膝元で力の一端を覗かせたわけでもない。
 ただ必殺の意思を見せる。
 それだけで何よりも雄弁だった。
 返答もまたこの場に相応しいものだった。
 十を超える殺気がアズールを取り囲む。さらにいるのはそれだけではない。明らかに反応したものが近くにさらに十はいる。
 街中であって、明らかな異変。その中心にアズールはいる。
 問題はない。
 酔った頭の中に言葉が浮かぶ。
 ――全員殺せる。
 自分が本当に素直にそう思ったと理解したと同時に、心がまた跳ねた。
 心が乱れれば、身体も乱れる。本当に僅かな時間だったが、それで十分なものにとっては間違いなく致命の隙だった。
 その隙を相手は逃げの一手とした。
「こちら側を望むのでしたら、いつでもどうぞ」
 それだけで誰も彼もいなくなった。店に残されたのはアズールと何も知らない客だけだ。
 追う気力も残ってはいない。
 全てが酔っ払いの見た幻ならば、どれだけ気が楽なのだろうか。
 未だ覚めぬ酔いの中、不快な鼓動だけがアズールには残っていた。

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