行くもの去るもの

かつて男がいた
国のため友のため戦った
男がいた

 近くに水源としての湖を持つ王国では、朝靄が緩やかに夜の終わりを告げる。肌に張り付くような冷たさで目を覚ました人々が、街に新たな動きを吹き込む。熱を持つ息吹は音と共に日の光を迎え、今日という日を始める。
 しかしその中にあって、静謐とさえ表現できる場所がある。集う人の数は決して少なくないにもかかわらず、音を立てることが罪であるかのように静々と全てが行われていく。
 王国の中心である、王都のさらに中心に聳え立つ白亜の城。
 内外に平和を謳う王国であっても、知っているものは知っている。誰も敢えて声にはしないが、それは言うまでも無く明らかなことだからだ。人と人がいる限りは、人間同士の関係がある。それが協力関係であるか、敵対関係であるか、その二元論では語れない関係が。
 恐らくは当事者である本人ですら分かっていない。国を守るため、というその一点では志を同じくしていても、思想が違えば方法が違い、根本が違えば互いに食い違う。そして自分が正しいという自信を持ってしまえば、相手は間違っているしかない。
 何とも下らないことだ。そう思いながらも、それ以上どうしようもない立場にいる自分を内心バーキアは笑う。果たしてこんな姿をアズールが目にすれば、間違いなく笑うだろう。そして自分に出来ることをするのだ。後悔をしたくないから。未来に憂いを残したくないから。
 かつてはバーキアもそうだった。だからこそ現在がある。自らの意思で選択し、選択し続けてきたからこそ、ここにいる。それが自分の全力だと確信している。
 大切な友を切り捨てるしかない、ちっぽけな全力だ。
 重い嘆息が零れそうになるが、堪える。毛足の長い絨毯は足音を意識せずに消すので、油断していると通りすがりの侍従にあらぬ姿を見られ、あらぬ噂が流れかねない。特に城内ではバーキアは一挙一足に注目されている。
 双色の勇者の一、赤燈の勇者であり、王国の筆頭魔導師という立場にある。たとえその気が無くとも、その全ては絶大な影響力を持ち、最早バーキア自身ですら与えられた役を演じているような錯覚に陥りそうなほどだ。
 だからどれほど気が重くとも嘆息は零せず、歩調に乱れがあってはならない。常と変わらず今日が平和であると、些細な仕草で示さなければならない。
 そう。今日も何も変わらない。
 隣にアズールはいない。
 仲間もいない。
 それでも立つべき、戦場がある。
 バーキアにとってのいつもの日常だ。
 いつのころからか、日常になってしまった。
 両脇から差し出された槍の穂先が交わされ、城内で久しぶりに音らしい音が響く。一度足を止めて、ゆったりとした法衣が遅れて動きを失う。その間に衛兵はバーキアの顔を確認し、敬礼と共に扉を開ける。それを横目にバーキアは黙して進む。会釈すらしないのは、頭を下げていい立場ではないからだ。
 窮屈ないつもの日常。扉を抜けた先にもそれがある。
「バーキア・ホーキンス、参上しました」
 心より頭を下げるのはただ一人に対してのみ。この国の頂に座す王女にだけだ。
 断じて他の誰でもない。
 小さな民家ならば丸ごと入るだろう一室に楕円の卓が置かれ、入り口から最も遠い上座に王女が座り、その傍らに言葉を授かり伝える伝言官がいる。王女を頂点とし、左右の席にはもう既に人がいる。いずれ劣らぬ高官ばかりの中、バーキアは最も入り口から近い一席に座る。
 ここがバーキアの位置であり、現状だ。
「それでは、これより朝議を始める」
 伝言官が王女の言葉をそのままに臣下へと伝える。一言一句間違わず、正しく王女の言葉が伝えられる故、それは王女の言葉に他ならない。
 簡単な名乗りもなく、昨日までの案件の進捗状況とその結果が報告に上る。誰も彼もが見知ったものであり、どういう立場で何を目指しているのか分かりきっている。水質調査から、他国に対する防諜対策、未知なる世界の開拓事業、後進の育成に伴う費用の申請。何もかもが国に必要なことであり、誰も手を抜かない。いくら面倒だろうとそれが必要だと信じているから。
 だからバーキアの気は重い。
 最後の最後。バーキアの順が回ってくる。まずは簡単に自分が抱えている案件の進捗と問題点の報告。しかしそれも永遠に時を引き伸ばせるというわけではない。
 最後の最後に回したのはありもしない奇跡を期待したからではない。心を真に落ち着けるためにはそれだけの時間が必要だったのだ。
「――十日間にわたる観察の結果、かつての紫紺の勇者アズール・メーティスを人外と判断。昨夜、王都の外縁で戦闘の後、抹殺」
 証拠として遺髪を提出する。丁寧に包まれたそれを伝達間が受け取り、王女へと渡す。
 報告はそれで終わり。
 そうなるのならばバーキアの気がどれだけ楽になっただろうか。
「明確にそれと分かるものではなく、頭髪の一部である理由は?」
「相手はかつて自分と並び称された勇者の一人であり、そして人外となった存在です。対して私は経験を積んでも、どうしても最盛期のかつてに比べれば力は劣ります。真正面から挑めば私が勝てる公算は皆無です。故に不意を突き、全力の一撃を叩き込みました」
 それこそ感情に任せて全力に近い一撃を大地に叩き込んである。その跡は騎士団を使って相手も把握しているはずだ。勿論、それが偽証である可能性を疑っている。
 互いに証拠は無い。だから相手の疑惑の尻尾を追い続ける。
「力で劣ると理解しているのならば、何故騎士団の到着を待たなかった? もしも貴殿が失敗していれば、我が国の損失は計り知れない」
「綿密に用意された計画ならばいざ知れず、昨夜はほとんど出会い頭のものでした。正直に申し上げれば、後詰の騎士団では役に立ちません。何より大規模な戦いならともかく、個々の戦いにおいては足手まといにしかなりません」
 今も勇者である自負はある。そしてそこに偽りが無いことをこの場にいる誰もが知っている。騎士も上を目指して精進しているが、それでもバーキアの領域に届くものはいない。
 今もなお王国最強であるという事実を嘆くものがいない以上は、当然なのかもしれない。
「確かに力が及ばないことは事実だろう。しかし、全く役に立たないことは無いはずだ。それを排してまで自分の手で始末をつけたのは、貴殿の心に私心があったからではないのか?」
「私心? ――勿論ありました」
 余りにも正直に吐露された心情に場は一瞬にしてざわめく。安易な餌に飛びつくことをよしとはしないが、しかし無視するのも勿体ない餌だ。その葛藤の隙間を縫うようにバーキアは言葉を継ぐ。
「周知のとおり、彼は私の友であり仲間です。この現在に至るまでの過去を共に駆けた得がたき半身です。本心を言えば、――殺したくなど無かった。しかし過去を否定せず、現在を肯定するのならば、殺すしかない。十日間という短い時間で出せた結論など、心を納得させるものではない。ただ他の誰にも渡したくないという最低最悪な自分の心情しか浮かんでこなかった」
 嘘ばかりではない嘘は説得力を持つ。
 過去五十年を戦い続け、約束を守るために約束を交わした友を排した男の言葉だ。そしてこの場にいるものもまた国のためを思い、それぞれの戦場で戦い続けてきたものたちだ。どこかで自らの心情と重ねあわせ、共感を呼ぶ。
 バーキアの揚げ足を取ろうとしたものたちの口をも噤ませる。
 国に仕える以上は私心など切り捨てるべきなのだろうが、それだけでは成り立たないことを誰もが理解している。
「私は人間です。友と国を量りに乗せ、心の全てを殺して実行できるほど自分を完全には御せ無い。心は嘆き、悲しむ。そしてその心を抱えて私はこの国のために力を尽くす」
 勇者には人の心などないと思われているのかもしれないが、あるに決まっている。
 それを吐露する場所を与えられていないだけだ。
 敢えてこの場で禁忌を犯し、自らの弱さを頭の片隅に植えつける。そう思って過小評価してくれれば幸いだ。バーキアの中に打算はある。アズールを犠牲にした以上は、それ以上の成果を収めるために全力を尽くす。
 自らの守りたいもののために。
「もしもこの私を信用できないのならば、探すといいでしょう。アズールを殺さずに秘匿したとするのならば、見つけ出して殺せばいい。仮にもその時が来るのならば、私も責任を取りましょう」
 もっともアズールを直接知るものはこの場には一人しかいない。
 この王国の頂点である王女だけだ。彼女だけはかつてで語れる過去に直接アズールと会っている。
 現在、アズールと始めて会ったものはアズールの顔を明確には思い出せないはずだ。アズールに渡した服には認識を妨害する術式が組まれている。思い出そうとすれば霞んだ情報しか手に入らない。初めて王都に顔を見せたときには何もできなかったが、あの時とは随分と姿が変わったから心配は無いはずだ。
 叶うのならば、アズールには自分の行けない場所に行って欲しい。
 随分と勝手な願いだが、縛り付けられるのは似合わない。
 たとえその身が人外となった今でもアズール・メーティスはバーキア・ホーキンスにとってかけがえのない友なのだ。
 どうか――、と続く言葉は胸の内にしまいこんだ。
 祈ろうとも祈らずとも、アズールは自らの意思で決断できる。そしてバーキア自身がそうと選択した以上は、全てはもうなるようにしかならない。
 ならば祈りを捧げるのではなく、自らの場でこそ全力を尽くすことがバーキアのなすべきことに他ならない。
 守りたいものを守る。
 単純にそれだけのために力を尽くそう。
「私からは以上です」
 嫌疑が完全に晴れたわけではないが、相手方もバーキアの言質を取ったことで一応の膠着を見せた。
 これで本日の議題は全て消化され、あとは各々の持ち場へと戻っていき業務をこなすだけだ。その中には追求をかわすことも、これからは含まれてくるはずだ。
 友の死を偽装し、それを真実とする。どこまでも私事でありながらも、しかしバーキアは自らの持てる全ての力を以ってこれを達成する。
 今まで国に尽くしてきたアズールの退職金だ。
「それでは、これにより朝議を終了する」
 伝言官の言葉だけはいつもどおりに何も変わらなかった。

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