行くもの去るもの

かつて男がいた
国のため友のため戦った
男がいた

 護衛といっても脅威に対しての行動を求められるだけで、それ以外に求められるのはそう多くない。そして脅威が現れなければ、歩みの遅い行程に付き従う退屈さを自覚する。
 進んでは休み、休んでは進む。たったこれだけの行程をあといくら繰り返せばいいのか、アズールにしてみれば飽いても仕方のない旅程だ。日の光が落ちてしまっては野営の準備もままならない。日が落ち始める前に野営の準備をするために、ただでさえ一日の足の伸びを遅く感じてしまう。
 野営の準備の中、ルキはいつの間にか視界の中から消えていた。何か言っていた気がするも覚えてはいない。そしてルキがいなければアズールと商人たちの溝は浮き彫りになる。誰も積極的に近づこうとはせずに、常に一定の距離がある。
 別にアズールが手伝うようなことも無かったので、水でも汲もうかと足は近くの川へと向かう。
 独りになれる短い時間。必然的に、アズールの思考は内へと向かうことになる。
 思うのは一つ。自分のことだ。
 自らが人でなくなったことは理解していたつもりだ。獣の王と合一し、人外となったことも。
 だが自らの二面性については知らなかった。
 昨夜、ルキとの会話の中で自覚した二つの思い。
 自らの守った世界に、高潔な想いを抱くルキのようなものがいることに対する喜び。
 そして理想に対してどこまでも強固な現実に打ち砕かれる瞬間を待ち望む暗い喜び。
 そのどちらもがアズールの本心だった。獣のせいにすることなど出来ないほどに、はっきりとした心の反応だった。
 ルキが勇者を目指しつつあることも、そして勇者の果てを知って絶望することも望んでいるのだ。
 かつての自らがそうだったから。かつての自分がそうなってしまったから。
 何の因果も無いものに等しく絶望を望んでいる。
 これが勇者と呼ばれた男の成れの果てだ。成って果てた故の現在だ。
 あるいは戦いという場にいない本当の自分なのかもしれない。
 弱いものが足掻く様を上から見下ろすのは気分がいい。
 世界は単純だ。強ければ勝ち、弱ければ負ける。その理の中、確かにアズールは強者なのだ。強者だった。たとえ自身がどう思おうとも。だからこそ獣の王は今アズールの中にいる。
 思い出せ。
 戦いの中、敵を屠ることに達成感を覚えたことを。
 限りない高揚の中にいたことを。
 獣の王との死闘の中、頭の中にあったのは人類の勝利などではなかった。
 いや、確かに最初はそう思っていたのだ。しかし戦いが進むにつれ、自らの全存在を賭けて得たいと思った勝利は、単純に目の前の存在に勝ちたいという欲でしかなかった。
 自らの全てを出し切って、その果てにあるものを見たかった。
 確かにそのときアズールと獣の王は一つのものだったのだろう。
 何が勇者だ。
 少しでもいい気になっていた自分に腹が立つ。
 かつてそこにいたのは戦闘に狂ったものでしかない。力と力の闘争の果てを渇望する獣でしかなかった。刃と牙の煌きの中、人の勝利よりも、友との約束よりも、なお勝るものを見てしまったのだ。
 ならばこの現在は、かつて望んだいつかに他ならない。
 歓喜するより他にない。望んで戦い、望んで勝利し、望んだ果てにいるのだ。これを喜ばずして何を喜ぶというのか。
 口から漏れたのは、しかし歓喜の声でなく嘆息だった。
 本当にそうだったらどれだけよかったか。本当に喜べたらどれだけよかったか。
 いくら獣と同一化したといっても、それでもまだアズールには人として残されている部分がある。後ろめたさがある。後顧の憂いがある。
 少なくとも戦いに敏感になったとしても、歓喜するには程遠い。だが確実に人としての部分は失われつつある。
 そんな中途半端な自分に、今更ながら落ち込む。
 何かがあれば変わるのだろうか。人としても、獣としても。
 人として変わったものとして思い出すのは、友であるバーキアのことだ。友は地位を得て、嫁をもらい、孫までいる。かつてのような研ぎ澄まされた何かを感じることは無いが、それが決して悪いことではないことは見て分かった。戦場ではない自らのよりどころを見つけたが故の穏やかさだろう。若干、恐妻家の気はあったが。
 対して自分を顧みるに、恋人すらいない。いたことすらない。いい仲だったものもいるが、今はもう会うことも出来ないだろう。
 戦いが終われば、そんな幸せな日々があると信じていたのに。
 思えば欝になる。
 それだけで簡単に力がざわめく。咄嗟に気を引き締めるが、零れる嘆息まではとめられない。
「なんかいいこと無いかなぁ……」
 誰もいないを幸いに独り言までも呟く。
 末期だなと自覚しながら、川沿いの茂みを突き抜ければ、何かを突き破る感覚があった。
 何を、と思って辺りを見回せば、そこにいた。
 見た。
 戦いの中で洗練された曲線を持つ裸体は素晴らしいが、美しい肌を彩るのは夕の日の輝きを受けた滴だけではない。同じぐらい戦いの中で受けた傷もあった。それは肌の色の微細な差でどうしても浮き上がってしまう。
 もったいない。そう思うが、それが選んだ道なのだろう。
 その果てにあるものが、果たしてアズールの知っているものと同一なのかは分からないが。
 そのまま何となく見ていると、斧が飛んできた。
「いつまで見てんのよ――!」
 許されるなら、いつまでも見たいと思ったが、口には出さなかった。
 ルキの裸身は、それだけいいものだった。
「ありがとう」
 思わず感謝が出る。それほどのものだ。
 思わぬ幸運にざわめく力すら落ち着いてしまった。
 生きていれば、やはりいいことの一つぐらいは起きるものらしい。
「感謝じゃなくて、謝罪でしょ――!」
 勿論頭を下げて謝った。

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