行くもの去るもの

かつて男がいた
国のため友のため戦った
男がいた

 旅をするものには目的がある。
 そもそも目的が無ければ旅などしない。何をどう考えようと街の中にいるほうが安全で快適だ。万全とは言えずとも守りがあり、物流があり、人がいる。旅をするものはその全てを自分で何とかしなければならない。
 旅をするものには目的がある。その多くが目的を抱えたまま死に至るのは、旅を続けることそのものが出来なくなるからだ。しかし周知の事実であったとしても旅をするものはいなくならない。
 街では果たせない目的があるからか。それとも街にはいられなくなったから目的を得たのか。
 アズールは後者だ。果てには自らの死を望んでいる。
 生きている限りは放っておいても死ぬが、後に禍根を残さない死を希求する。そして死ぬまでは生きるしかない。だからそれがアズールの旅の目的だ。
 ルキがどうなのかアズールは知らない。ルキの身なりには旅の汚れは見えるが、そもそも上等でもないが下等でもない装備だ。それだけのものをそろえられるだけのものがあるのならば、街の中でもある程度の状態で暮らしていけるはずだ。
 それでもルキはここにいる。
 興味はあるが、興味本位で尋ねていいことでもないだろう。ルキが語りたくないのならば、尋ねても意味が無い。逆に、語りたいことならば、尋ねずとも自ら語るだろう。
 ただ確たる目的はあるようだった。足取りには迷い無く、時折地図を広げては自らの位置を確認している。アズールは同行者として数歩後ろを歩いているが、振り返りもしない。声が届かない距離でもないので会話は無いことはないが、少なくともアズールの顔を見るよりも前を見ることに重点を置いている。
 それほどの目的があるのかと半ば感心したようにアズールは思っていたが、その思いはいとも簡単に覆される。
 道中。突然ルキは虚空を見据え、一瞬の後に駆け出す。
 アズールには声のひとつもない。それがルキの当然だからだろうか。
 ルキの見据えた虚空。その先にあるものは恐らくルキが気づくよりも大分先にアズールは気づいていた。気づいていて無視をしていた。自らとは無関係でもあり、それが世界の当然だからだ。
 人が人外に襲われている。
 ルキが行ったのはそのためだろう。何が出来て、何をするつもりかは分からないが、余計なことに関わればそれだけ足取りは遅れる。旅の目的がある以上は雑事と割り切って進むことも出来る。
 それなのにルキは行った。
 もう半数は死んでいる。残りが死ぬのも時間の問題だ。
 ルキの速度はその間へと十分に割り込めるものだ。
 だが、人外を相手に確実に生を得ることが出来るものかどうか。
 興味がアズールの足を動かした。疾風の先頭を行き、僅かな時間で現場へと到着する。
 まず目に入ったのは予想通りの赤。大地が人の血で濡れており、その中に肉の塊となったものが転がっている。明確な殺戮を行った主は血の赤の中に独りだけ。白い毛皮に覆われた四肢で身体を支える獣。人を丸呑みできるほどの口腔に剣を持った最後の人間は食いちぎられ、絶叫すら残さずに果てた。残るのは護衛が全て死に、次に自らが死ぬのを待つ商人たちだけだ。
 予定外のことが起きなければ、お決まりの惨劇があるだけだ。
 疾駆の速度のまま斧をぶち込むルキの一撃が果たしてそれなのかは分からない。人外の力場を突破し、首へと刃が突き立つが、それだけでは人外は止まらない。強引に首を振りルキを放り投げる。咆哮と共に牙が追うが、ルキは盾を生み出し、何とか対応している。
 人外は無傷ではない。護衛が善戦したのだろう。その身を濡らす黒々とした赤は何も人ばかりのものではない。無数の傷から流れ出る赤の色は、人の意思の証だ。
 勝つことは出来ず、過去となったものの証だ。
 ルキが過去になるか、現在を越えて未来へと至れるか。少なくともここで敗れれば待つのは死だけだ。自らの意思によって挑み、過去となる。そこに後悔があるのかどうかは知らないが、それが現実だ。
 人外は弱っている。本来であれば人外は自らの強力な力で再生を行える。戦闘中であろうと、与えた傷の片っ端から修復されていってしまう。より強力なものになれば欠損部位の復元すら行う。それを可能とするだけの力が人外にはある。
 そして人にはない。人外に対してあらゆるもので劣る人が、それでも人外に勝つために生み出されたものがある。それは正しく戦う術だ。あらゆるもので劣るからこそ、間違ってはならない。
 複数で戦い、最大戦力を以って短時間で決着する。それが基本だ。
 しかしルキにはそれは出来ない。到着が僅かにでも早ければ違ったかもしれないが、現状戦っているのはルキだけだ。ルキが望んだ戦場だ。アズールに助力を請うことすらしなかった。
 ならば一人でどうにかするしかない。
 対人外において、人は自らが最も得意とする距離で戦う。たとえそれが人外の最も得意とする距離であっても。
 そもそも人外の攻撃をまともに受ければ強力だろうがそうでなかろうが、人は死ぬ。それよりも人外の展開する力場を突破できねば、そもそも勝負にはならない。だから人は自らが全力を出せる距離で戦う。
 ルキにとってそれは斧の距離なのだろう。人外の咆哮の距離ではなく、爪牙の距離で戦っている。
 その通り、戦っているだけだ。いつか負けて死ぬ。
 勝利へと自らを進ませなければ果てるだけだ。
 それをルキは知っているのだろう。今も人外の力に叩き伏せられ、咄嗟に斧を差し込んだが、力負けしている。牙と爪はやがてルキの首へと届き、大地に新たな赤を吸わせることになる。
 瞳がアズールを見た。
「アズール――!」
 意地を張った死よりも、次に挑む勝利を選んだ故の叫び。
 アズールは正しくそれに応えた。
 右の一振りが人外を切り裂いた。

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