決意の在り処

在るのならば答えられる
無いのならば答えられない
その程度のものではない

 そして旅立ちはいつも夜だった。
 そうだったかと自問するが、そうだった気がするとアズールの中で言葉が生まれる。
 志願兵として王都へと村を出た日。
 勇者となり獣との決着をつけるためにあちら側へと進軍した日。
 人ではなくなり、人外となり、バーキアと離別した日。
 全てが夜だった。
 だから今も夜だ。
 星の明かりすら闇に飲まれる夜。深い闇は足音すら飲み込むのか、獣が進む背後に付き従うものは何も無い。友も仲間も誰もいない。いつしか当然となってしまった独りの旅立ち。
 それももう最後かもしれない。寄る辺無き身となってしまった以上は、これから続くのは流浪の日々だ。今までの旅と違い、この旅には勝利による終わりは無い。自らの死で以ってしか終わらせることの出来ない旅だ。
 決意を自らの内に確認してしまった以上は自らの意思で終わらせることも出来ないものとなってしまった。
 戦いのない日々をあれほどに希っていたにもかかわらず、アズールが手にしたのは戦うための力だ。最早死ぬまで戦い続けるしか道はない。
 正真の獣となったのだ。
 かつて世界の全てと全ての世界を平らにするために戦いを求め続けた獣と等しい存在に。
 それでも変わらないものが胸にある。
 戦い続けることに変わりは無く、その果てにあるものが死でしかなくとも。
 自らの守りたいと思ったものを守れるのだ。
 誓いを。友と仲間が守り通した世界を。その果てを。
 ただその一事だけで胸を張れる。自らを誇ることが出来る。
 旅を続けることが出来る。
 夜の中、唯一の明かりに背を向けて足を進める。
 勝利を喜ぶ明かりの中にアズールの居場所は無い。
 戦いの結果だけを見れば勝利だろう。先に退避していた傭兵たちはアズールとルキの無事な帰還と報告から勝利を確信しただけだ。アズールもルキも一言も勝利だとは言っていない。
 無論、依頼人でもある村の人間にも同様の報告をした。
 人外を打倒した、と。
 喜び、約束の報酬の授受は行われた。だからこそ傭兵たちは飲んで騒げているのだ。その中には村の人間たちもいる。事情を知っているものもいれば、事情を知らずにただ人外の打倒だけを聞いたものもいる。
 喜びは一過性のものにしか過ぎない。宴は一夜で終わり、傭兵たちは去る。残された村人は人外不在の平和を喜ぶだろうが、もともと一人しか生贄を要求されていなかったのだ。事情を知っていようと知らなかろうと大した違いは無い。
 だがいずれ知ることになる。
 豊穣を約束していた人外が不在となった以上、この地にはもう豊穣は訪れない。人口を維持できないからこそ人外に頼ってまで豊穣を願ったのだ。自責の念か正義感か分からないが、その人外を自らの意で打倒を望んだ。後にあるのは、当然の帰結しかない。
 その事実を村人が理解したとき、どう思うのか。
 軽々に決め付けるのはよくないことだが、きっと恨むのだろうと思う。そのとき、自分を恨めるほどの強さを持っているのならば、そもそも人外の打倒など頼まなかったに違いない。一人を犠牲にし続け、村の存続を保っていたはずだ。
 それが出来ない人間がどうして恨まずにいられるのか。ルキや傭兵たちは当然のように恨まれる。しかしもうそのときには誰も恨める人間など残っていない。ならばどうなるのか。どうにもならないが、なるようにしかならない結末があるのだろう。
 ルキの望みの果てなどそんなものだ。
 感謝など一時のものでしかなく、時が過ぎれば恨みに変わる。
 人の事情は時と共に移ろう。容易く過去を裏切ることが出来る。
 人のために戦ったアズールもまた似たようなものだ。かつて称えられた勇者は葬られるべき存在となっていた。親友が自らの意を以って決別するしかなかった。
 それでもアズールは今も過去と同じ誓いと想いを抱き続けている。
 かつてのアズールたちと同じ望みを抱くルキのその果てに興味はあるが、もう見ることは叶わない。
 他の傭兵たちとは違い、ルキはアズールの力をその目で見た。呪紋を唱えず、意詞を放たず、ただひたすらに圧倒的な力を力として行使する存在。それを人間だと誤解できるものはいない。
 人であるのならば常に感じてきた脅威を目で見て、肌で感じたのだ。
 理解できないものを理解しようとして、やはり理解できないからこそ恐怖が生まれ、畏怖に飲まれ、目を逸らし、離れ、遠ざけようとする。
 もしもそうでないのならば、決意を以って立ち向かうしかない。
 人の脅威である人外を前にして、逃走でも逃避でもない選択をするのならば。
 自らの理の外に位置するものを見据えるのならば。
「少なくとも迷うべきじゃあないな」
 深い闇は姿を隠し、足音すら飲み込む。闇の中に意識を向けようとも存在の有無すら判別することは難しい。たとえあると分かっていても、あると確信を持つことが出来ない夜。
 しかしアズールは分かっていた。
 人ならば分からなかった。ただ獣だから分かった。
 それ以上に単純な理由がある。
 旅立ちはいつも夜だった。
 いつも見送られて旅立った。
 だから背後を振り向けば、驚いた顔のルキがいるのは当然だった。
 目が向き、顔が向き、首が向き、身体が向けば、ルキの身体に緊張が見えた。アズールが砕いた斧の柄を槍のように握り締め、しかしルキはアズールから目を逸らさなかった。
 何故ここにいるのかと問うのは愚問だ。
 人の脅威である人外がいるのだ。正義感か、義務感か。そのどれでもないとしても、見過ごせないからこそ、ここにいる。夜の闇にまぎれ、気配を殺し、武器を構えて。
 それなのにルキはアズールの背後を取っていてなお襲い掛からなかった。
「誰も教えてくれなかったのか。人外を相手にする戦い方を」
 圧倒的な力の差がある相手である人外にそれでも勝利を望むのならば。
「隙をつけ、不意をつけ、慢心につけこめ、そして迷わず殺せ」
「――しかし命は捨てるな、次につなげ」
 それを実践できてこそ、初めて可能性が生まれる。生きて勝利を掴み、次へとつなげることが出来る。
 アズールたちの時代に当然のように口にされた対人外戦術の基本だ。
 それを知り、理解しながら、しかしルキは武器を構えただけだ。
「何も出来ないのならば、見過ごすべきだったな。見て見ない振りをすればよかった。俺の前にわざわざ現れたのなら、少なくとも迷いではなく決意を以って立て」
 目を逸らし、アズールの存在を看過するのならば問題はなかった。恐怖か畏怖か、少なくとも自らの意思で目を逸らしたものに出来ることなど限られている。たとえ騎士団を要請したとしても、実在を確かめる術が少女の言にしかないのならまず騎士団は動かない。
 だが、アズールの前に現れたのなら話は変わる。
 自らの意思で見過ごすことが出来ないからこそ、人外であるアズールの前へと立ったのだ。
 もうルキを見逃すことは出来ない。迷いを捨てきれていないが、それでも何らかの意思を以ってこの場に来たのだ。生半可な対応で曖昧に終わらせることは出来ない。
 だからこそ残念だ。
 人外を相手に迷いを抱くものが生き残る確率は経験上、皆無だ。
「……確かに迷いはある。だけど、あなたをそのまま見過ごすような決意も無いわ」
「ならば何をするつもりだ? 何が出来るつもりでいる?」
 人外を見過ごさず、前に立ち、武器を構え、しかし迷いを捨てきれないでいる。
 共に立つ仲間をおらず、ただ一人でこの場にいる。他の人目があるならば、少なくとも殺すことは無かっただろう。だが、村の明かりを離れ、一人でいるのならば殺したとしても人外に襲われて死んだことと処理される。
 遠まわしな自殺か、そうでなければまるで殺してくれと言っているようなものだ。
 ルキと共に過ごした時間は短いものだが、確かに賢いと思わせることも無かったが、そんなことに気づかないほど愚かだった覚えも無い。
「私は確かめに来たのよ」
「……何をだ」
 今更確かめることなど何があるのか。
 アズールは獣であることを自ら肯定し、正真の人外となった。
 ルキは人間であり、人の脅威である人外を見過ごすことは出来ない。
 だからこそ今この場にアズールとルキがいるのだ。
「あなたが――アズールが人の敵であるかどうか」
 アズールの反応は、呆れ、というよりもむしろ失笑に近かった。く、と息をかみ殺すのが精一杯でそれ以上は隠せなかった。
「愚かな」
 その問いには何の意味も無い。
「人外は人の脅威だ。その現実に変わりは無い。だからこそ人は戦ってきた。戦って勝たなければ、生きることすら出来ないからこそ、人は命を賭けた」
 だからこそ英雄と決別し、勇者が生まれ、人は今も戦い続けている。
 その人外を前に人の敵であるかどうかを問うなど正気の沙汰ではない。
 人にとって人外は敵でしかない。
「けど、アズールは人を害していない」
「それが理由になると考えているのならば、考え直したほうがいい。そうする理由が無かったが、そうしない理由もなかっただけだ」
 意味も理由も無く、殺せる。
 それだけの力がアズールにはある。
 たとえ相手が人外であろうとも自らの意を押し通せるだけの力が。
「そんなものを理由にするつもりか」
「勿論そんなつもりは無いわよ。そこまで何も考えられないほど幸せな女じゃないつもり。そうでなければこんなもの手にしないわ」
 言うとおり、ルキは未だに構えを解いていない。いつでも動けるように常に気を張って言葉を作っている。
 アズールの歩幅で五歩の距離。一足で十分に詰められる間合いであり、獣となった今は指一本動かさずに喰らうことができる間合いだ。ルキがどれほどに構えようと、アズールがその気になればどう足掻こうとルキは死ぬ。
「だけど、アズールはどうして今私を殺さないの? いつでも殺せるでしょ?」
 自らの命が相手の意の下にあることを理解して、ルキはそこにいた。
 相手がその気になれば瞬く間に死ぬ。
 殺されない確信があるわけではない。そうであるなら始めから構えはせず、緊張も、怯えから来る震えを隠そうとする努力も必要ない。
 だからこれはルキにとっての賭けなのだろう。
 殺されず、対話をし、その果てに何を望んでいるのか。
 アズールが興味を持った時点でルキにとって一先ずの成功となる。ただし、依然アズールの意一つで命が喰われる状況に変わりは無い。白刃の上を素足で渡るようなものだ。一つ間違えれば、次は無い。この間合いではルキには逃走の選択すら与えられていない。成功し続けるしかルキの望む次は得られない。
 いいだろう、とアズールは思う。乗ってやると。
 勇者であるアズールたちの後追いでしかないルキが果たして想像を超えられるのかどうか。
 楽しみでないといえば嘘になる。興味がないといえば偽ることになる。
 無論、賭けである以上は負けた場合の取立てに手心は加えない。
 そうなった場合、アズールが自ら望んで殺す初めての人間となる。
 そんなことは一切斟酌せずにルキは自らの言葉を作る。
「いつでも殺せる。だから今は珍しい人間に喋らせておく? それでも構わないわ」
「正しくそうでしかないな」
 興味が尽きれば、ルキを殺す。少なくともそれはアズールの中の決定事項だ。
 慈悲も容赦も無い。獣の牙は獲物を求めている。
「人外は人の脅威である。そのことに異を唱えるつもりは無いわ。人より強大な肉体を持ち、人より強靭な精神を持つ。世界を意のままに蹂躙する力を持つ存在。それが脅威じゃないはずは無いわ」
 限られた条件化で人間が人外を打倒することは可能となったが、それでもその条件を即座に揃えることは難しい。どうしても騎士団の対応は後手に回り、その間の被害を食い止めることが出来るものはほとんどいない。
 称えられる勇者であろうと、何の準備も装備も無い状態では無力な獲物だ。
「けど、人外が真に脅威であるのは人の理の外側に位置するからよ。理解できないからこそ、戦うことでしか私達人間の居場所を守ることが出来ない」
「それで? 俺のことは理解できるとでも言うつもりか?」
「私が理解できると錯覚できるような幸せな女だったらね。けど、私がアズールのことを理解できなくても、アズールは人間のことを知っているでしょう。人外だと嘯くのに」
「何故そう思う?」
「今回の件で報酬の話をしたら、人外を打倒するのではなく、私をどうにかすることで金を手に入れようとしたやつらがいたでしょ。私とアズールで転がしておいたけど」
「ああ、いたな。鬱陶しいやつらだった」
「それなのに殺さなかった。鬱陶しいなら殺してしまえばよかったのに。わざわざ気絶させて縄で縛って転がしておくなんて、余程手間よ」
「それだと後が面倒だろう。たかがコソ泥数人のために余計な面倒をかぶる気もない」
「そこよ。アズールは殺すと後が面倒だということを知ってるじゃない」
 迂闊と思いはしたが、しかし元々人外であることを知らせるつもりなど無かったのだ。人間のふりをする以上は人間の理の中で動かなければならなかった。
 それも人外であることが知られてしまえば、意味が無くなる。
 つまり、今までの全ての行動が裏目に出ることになる。
 人外は人間に対する明確な脅威だ。
 その事実に変わりは無い。ただ一個の人外が人の事情を鑑みたからといって全体に影響することは無い。
 それでもとルキは言う。
「アズール、あなただけに限れば話は別でしょう。確かに人外なのだろうけど、人を理解して、それに合わせた行動を取ることができる。私にアズールのことは理解できないけれど、それだけは分かるわ」
 だから、とルキは言葉を継げる。
「あなたは人の味方になりうるの?」
 再度の問いに対するアズールの反応は、呆れでもなければ失笑でもなかった。
 形容しがたい感情が腹の底に渦巻き、自らでも処理できないものを飲み込むことが出来ず、自らを乱す問いを放つ存在を喰らおうと獣が牙を剥く。
 問いごと噛み砕いてしまえば、何も考える必要は無い。世界を平らにするために世界を渡り歩いた獣なのだ。詰まらぬ問いに縛られる必要は無い。悩みなど無く、ただひたすらに世界を蹂躙することこそが至上の望み。
 それこそが獣だ。
 そしてアズールは獣となった。
 だが、アズールの意思までも獣となったわけではない。
 自らを乱す問いを喰らうのではなく、対峙して飲み込む。
 結局のところ、それは無意識が勝手に処理しようとしただけのことに過ぎない。戸惑いと躊躇いの向こう側にはいつだろうと真実がある。
 ルキは、バーキアにすら出来ない問いを放ったのだ。
 人外となったアズールに対し、バーキアは力で以って対峙することしかできなかった。
 勿論それはバーキアの立場とかつての誓いによる決断だ。赤橙の勇者として国を守ろうとするのであれば、そうするしかなかった。立場を捨てることは簡単だが、組織という力に頼らず個人に出来ることなど限られている。全てを理解した上で、バーキアはアズールと決別した。
 ルキが特別ということではない。ルキ自身には守るべき立場も無ければ、勇者のような呪いに似た期待を背負っているわけでもない。旅をする必要もないのに、自らの勝手で世界を旅する自由な立場だ。
 それでも、と思う。自らが勇者ではなく、ルキと同じ立場だったとして、同じ問いを放てるのかどうか。人の脅威である人外を前にして、力で対峙することなく、相手の本質を問いただせるのかどうか。
 相手がバーキアたちだったら恐らくは可能だろう。
 しかしルキにとってアズールは仲間でも友でもない。ただ行きずりの関係だ。
 勇者と同じ始まりを持つ、アズールたちの後追いだと思っていたルキは、今確かにかつての勇者たちと違うことを見せたのだ。
 あるいはそれはとても愚かなことかもしれないが、確かにアズールたちには出来ないことだ。
 最早正直に認めるしかない。自らの内に渦巻く、この形容しがたい感情が何であるのか。
 焦がれる嫉妬であり、意味の分からない羨望だ。
 そうなりたいと思いはしない。しかし、自らに出来ないものを成すものを見たときに抱く心の動きそのものだ。
 だからこそ次の問いが楽しみになる。
 そうと認めた瞬間、決着した。
 賭けは、ルキの勝ちだ。
「俺が人間の味方になりうるかどうか? そんなものは決まっている」
 人ではなくなり、人外となった今でもアズールの心は変わらない。
 かつて勇者であった頃から、勇者となる前から、心は何も変わらない。
「俺は人の味方なんかじゃあない」
 結果としてそうだったのかもしれないが、一度として自らがそう思ったことは無い。
 紫紺の勇者だったときも、人の命を背負っている実感など無かった。背には一方的な期待が背負わされたが、見ず知らずの誰かなど感じたことは無かった。いつも思い出せたのは、仲間であり友であり、家族であり、近しい誰かだった。
 今この手にかつて望んだ力があっても、それは仲間や友が守りたいと思ったものを守るためだけに振るう。見ず知らずの誰かを救うための力などでは決して無い。
「俺はあくまで俺が思うままに力を振るう。その結果をどう解釈されようと、少なくとも俺は人の味方であるつもりなど一つもない」
 嘘偽りの一つ無く、正直に心が思うままを答えた。
 賭けの負けとして払う代償としては妥当だろう。そうアズールは思うが、当のルキは微妙な表情をしていた。
「うーん。思ってたのと違う答えが来た……」
「お前は何というか、一気に緊張感がなくなったな」
 あるいはそれはアズールによるところが大きいのかもしれない。アズールが負けを認めた時点で、もうルキをどうにかする気は霧散していた。戦場に立つものは相手の反応に敏感であり、ルキもまたアズールの弛緩を読み取ったのだろう。
「どう答えれば満足だったんだ? 人の敵にでもなればいいのか」
「そんなことは決して無いけど、無条件で人の味方なら私のお願いを聞いて欲しかったなぁって」
「生憎と御伽噺の中の存在じゃあないんでな」
「むしろアズールが適任だと思うお願いだから、こうして来たんだけど」
 ルキが果たしてアズールの何を知っていると言うのか。
 やはり興味だけが先立った。
「言うだけいってみればいい」
「私を鍛えて欲しいの」
 何のために、とは問わなかった。
 ルキのことはほとんど知らないが、誰だろうと強くありたいと思うことはある。
 かつてのアズールもそうだった。そうであったからこそ、現在のアズールがいる。
 人が人外に教えを請うなど、正気の沙汰ではないが、それは理解の上なのだろう。
 だから何も問わない代わりに、告げた。
「俺の言うことが聞けるなら鍛えてやってもいい」
 紫紺の勇者の全てを教えてもいい。
 ルキが全てを飲み込めるかどうかは分からないが、アズールに出来る限りのことを教えることは出来る。
「言うことって? エッチなこと?」
「バカなことをいうな。そういうのはもっと色々段階を踏んだ男女がやるものだ」
「じゃあ、何?」
「別に簡単なことだ。お前が本当に強くなったなら、きっと出来る」
 いつか本当に強くなったとしたのなら。
 獣となったアズールを終わらせて欲しい。
 それが願いだ。
「それでいいなら教えてやる」
「……本当にエッチなことじゃないの?」
「くどい。それに俺の好みはお淑やかな女性だ。安心しろ」
「安心すると女として負けた気になるから、警戒しとくわ」
「勝手にしろ」
 言葉の終わりには、もうアズールの足は動いていた。ルキもまた言葉通りに勝手に隣に立つ。
 旅立ちはいつも夜で、しかし今回は見送りの代わりに隣に並ぶものがいた。
「どこでもいいけど、どこへ行くの?」
「まずはこの国を出る」
「今はやめておいたほうがいいと思うけど?」
「……何かあるのか?」
「この国と周辺三国が、国境に騎士団を展開してにらみ合いの真っ最中。真っ直ぐ国を出ようとすると、ぶつかるわよ」
 それが通常ならありえないことであるとアズールでも直ぐに分かった。
 狙いがどこにあるかなど分からない。しかし騎士団を派遣している以上は、何らかの目的があるはずだ。
 真っ先に思い浮かんだのは、やはりバーキアのことだった。
 心配する必要もないと言い聞かせるが、あの老いた姿を思い返してしまえば、どうしても迷いが生まれる。
 隣に仲間も友もいない。支えるべきものも背負うべきものも数多くあるが、バーキアを助けられるような存在が傍にいるのか。その答えは赤橙の勇者の名に並ぶものがこの国に無いことから明らかだ。
 身体は老い、精神は萎む。仲間も友も去り、しかし重荷ばかりが増えていく。
 そんなバーキアに背を向けて国を出るのか。
 答えの出せない自問が胸中に渦巻く。
「ねえ」
 その葛藤を見透かしたようにルキが言う。
「心配なことがあるのならばきっと確かめにいいと思うわよ。じゃないとずっと後悔し続けることになる……かもしれないし」
「随分と曖昧だ」
「だってそうじゃないのかもしれないじゃない」
 子供の言い分だ。
 大人の都合など何も考えていない。自らの都合と、自らの考えを言葉にしただけだ。
 だからこそ嘘偽り無く、正直な言葉だ。
「――それもそうだな」
 そうして決意する。
「詳しい情報が欲しい。どこに行けばいい?」
 人外が何故人の事情を気にするのか。何が出来るつもりでいるのか。何をするつもりでいるのか。何があるのか。
 ルキは問わなかった。
 ただアズールの知りたいことだけを答えた。
 だからアズールもまた余計なことは言わなかった。
「行くぞ」
 見送りは無く、人の明かりに背を向けて行く。
 人外と人間が自らの先を目指す旅が始まる。

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