決意の在り処

在るのならば答えられる
無いのならば答えられない
その程度のものではない

 アズールが足を踏み入れた村はやはり寂れていた。
 国境といえども、人と物の流れがある以上は中継点として賑わう場所がある。それを避けて進んでいるのだから当然だが、しかしそれでも予想以上に寂れていた。
 人の数が少ないこともあるが、何よりも活気が感じられない。生きる、という行為だけでは味気ないものだ。何かしらの楽しみを見つけるのが人の常だ。国として悪政が敷かれているわけでもなく、食事の内容を見れば食べるに困っているわけでもないと分かる。それだけならば日々を生きる喜びがあってもいいようなものだが、そこだけが抜け落ちている。
 何かがあるのかと思えば、逆に何も無い。地図上の国境の代わりを果たすように存在する巨大な岩山が見えるだけだ。それ以外に特徴的なものといえば、やけに豊かな食生活ぐらいだろう。岩山や付近の状態を見れば動植物の気配を感じさせる色は一切無く、岩や土の色しか見えない。だがこの村では豊富な食物が取れる。岩山のせいで主要な流通経路からは外れているため自給なのだろうが、自給が可能なほどに土地の状態がいいのか。
 それならば逆に人で賑わっても良さそうなものだ。岩山のせいで流通経路が無いのならば切り開けばいい。過去にも似たような例はあったはずだ。人は案外逞しく、生きていくためならば大概のことはやってのけている。
 そうして人外にも対抗したのだ。
 人にとって最大の脅威である人外の被害もこの周囲ではやけに少ない。アズールが勇者として戦場に立っていたときも、ここまで足を運んだことは記憶に無い。改めて思い返してみれば、不思議なことだ。世界を平らにしようと世界を巡る獣達がわざわざ避けたとも考えにくい。それともやはり人では理解できない何かがあるのか。
 考えても答えは出ない。答えを持つ存在はアズールの中にいるが、わざわざアズールの疑問を解消するためだけに目を覚ますわけでもない。獣は戦いに飢え、そして今はアズールの行く末に興味を持って眠っている。
 ああ、と空を仰ぎたくなるような状況だが、生憎空は見えずに店の天井しか見えない。そもそも空を仰いだところで状況は好転しない。もっとも具体的な案も何も無いので、再び皿の中のスープをつつく。
 食欲というものは徐々になくなってきている。それだけ自らの存在に自覚的なのだろう。どんどん人間離れしている。それも肉体ではなく、精神が。人としての行為に何も感じなくなれば、いよいよ終わりだ。だからか今は味覚だけでもあることが嬉しい。
 嬉しいからで全てが済ませられるわけでもないが。
「何か他にないのか?」
「もううちのメニューは全部お出ししましたよ」
「もう?」
「もうって……お客さんがはじめて店に着てから結構経ちますよ。うちとしては助かりますが、憂さを溜め込んで問題は起こさないようにしてくださいね」
「分かってるよ」
 痛いほどに分かっている。
 既に二度死んだ身だ。騒いで目立てばバーキアに迷惑がかかりかねない。こうして生きているだけで迷惑をかける存在だ。可及的速やかな死がアズールの望みだが、それもしばらくは叶いそうにない。
 かつての紫紺の勇者としての名は廃れたかもしれないが、その功績までもが失われたわけではない。人の先頭に立ち、戦場を切り開き、勝利をその手に掴む。決して独りで達したわけではないが、アズールやバーキアがいなくとも達成できたとは思わない。
 少なくとも、双色の勇者に並び立つような武勇は未だ耳にしない。
 人の流れを避けているために情報量が少ないこともあるだろうが、それでも輝かしい武勲であるのならば人の口に上るものだ。絶望の中であれば希望として、平和の中であれば平和の象徴として。
 最悪、その程度の力がなければアズールは殺せない。
 かつて並び立った双色の勇者。しかし今は両者の間の力の差は絶対だ。
 衰えたバーキアではアズールを殺せない。
 かつて人外の獣を相手に、独りでは勝利をつかめなかったように。
 バーキア・ホーキンスではアズール・メーティスを殺せない。
 そうして死を望むが、しかし本当に死にたいわけではない。一度は諦めた命だ。たとえ自らが死んだとしても勝つつもりで戦ったのだ。その果てに得た望外の生だ。
 いきたいに決まっている。
 今もその気持ちは変わらない。だが、以前は言葉にしがたい感情が胸のうちから溢れたにもかかわらず、今となっては諦めにも似た思いだけがある。
 どれだけ望もうとも自らは変わらない。
 人外と成ってしまった。成り果ててしまった。
 ならば、成って果てるしかない。
 そう受け入れてしまっている。
 決していいことではないのだろう。だからといってどうすればいいのか。
 分かれば苦労はしない。悩みもしない。分からないからこうしているのだ。
 分からないからこそ、こんな寂れた村に何日も足を止めている。
「それにしても珍しいことだ」
 活気は無くとも、客商売である自覚はあるのだろう。アズールが退屈そうに見えたからか、店の主人が話を振る。
「こんなにもたくさん外の人が来るなんて」
 主人の言葉通り、店の中にはもう空いている席は無い。全てに人がつき、やはり同じように退屈をもてあましている。アズールが村についた時点で既に人はいたし、それ以降も徐々に人の数は増えていった。
 二十に近い人の数。その全員が村の外からわざわざ足を運んだものだ。
 無論、単なる物見遊山ではない。周囲に人外の被害が少なくとも、道中に人外が存在しないわけではない。その危険を超えることの出来るものがここにいる。
 目的があって集まったのだ。
 あるいは集められたと表現するべきかもしれない。
 誰もが既に前金を受け取っているのだろう。
 このような辺鄙な村に、わざわざ少なくない前金を払ってまで戦えるものを集める。
 そんな酔狂なことをする人物は、アズールの記憶の中に一人しかいない。
 果たして、今も生きているのかどうか。その答えをアズールは知らない。
 知らないからこそ、ここにいる。
 死んでいてもおかしくはない。特段、何の驚きもない。恐らく悲しむことさえしないだろう。
 死んで当然。
 そう思わずにはいられないほどに目指す理想と自らの力には差があり、そして容易く意地を曲げていた。
 思い返してみれば、何の冗談かと思うほどに滑稽で笑えない存在だ。
 誰かを髣髴とさせるようで、その実は全く違う存在。
 だからこそ、アズールはここにいるのだ。
 死んで当然。その当然をもしも覆せるのだとしたら。
 抱く感情は期待だろうか。それとも全く別の何かだろうか。
 答えは出ないまま、今日となった。
 約束の刻限の最終日。
 恐らく現れない。
 そう思いながらも、アズールはスープをつついて、ここにいる。
 朝が来て、昼が回り、夕の日が落ちる。
 そして。
「随分と待たせたわね」
 ルキ・シェザードは現れた。

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