決意の在り処

在るのならば答えられる
無いのならば答えられない
その程度のものではない

 この再会が喜ばしいものかどうか。
 アズールには分からない。驚きはあるが、それとは別の感情があるかと問われれば答えられない。ただはっきりとした喜びの感情などは無かった。
 勝手に希望して、勝手に失望した相手だ。再会したからといって毀誉褒貶いずれかの感情があるわけでもない。別れたから、出会った。ただそれだけのことだ。
 一つ一つの現象に意味を求めることなど、きっともう無いのだろう。
 かつてを超えたバーキアとの再会を喜んだ。
 その果てにある離別を悲しんだ。
 きっとそれが最後だったのだ。
 人としての感情は確かに磨耗している。世界と自分との境界にて減耗している。
 そうでなければ喰われているのだ。
 人外の身に人の感情など不要。そう告げられているようですらある。
 ならば、不要なものを全て喰われた果てには何が残るのか。
 死ぬしかない身でありながら、その答えには少しだけ興味が沸く。
 いつか知ることがあるのだろうか。この身が果てる前に。自らが喰われ果てる前に。
 益体の無い夢想だ。
 ルキ・シェザードに人の希望を抱いたのと同じように。
 勇者と同じ始まりを持ち、しかし理想だけを囀り、力を持たない弱者。
 それが抱くのは希望ではなく、夢想でしかない。陽炎のように形があるかのように見せかける、実体無き想い。
 だから別れた。勝手に失望し、弱者としての現実を突きつけ、別れを告げた。
 自らの現実を知り、心まで折られた弱者は死ぬしかない。
 あれから遠からず死に、自らの後悔を抱いて過去となる。
 そのはずだった。
 しかし、ルキ・シェザードはアズールの前に現れ、再会を果たした。
 それが喜ばしいものかどうか、アズールには分からない。
 ただ純粋な驚きがある。
 勝手に希望して、勝手に失望した。その人間は、正しく死ぬはずだった。
 それが覆されたのならば、答えは一つしかない。
 アズールは見誤ったのだ。ルキ・シェザードという人間を勝手に理解したつもりになって、勝手に見捨て、勝手に別れた。
 紛れもない強者であるアズールに、弱者であるルキが間違いを告げる。
 アズールの知る世界の理であれば、人であれ人外であれ、強者は勝ち、弱者は敗れる。
 不可思議なことだ。不可解なことだ。
 だが、と思い出すこともある。
 かつて人は確かに人外の餌だった。人は確かな弱者であり、人外は確かな強者だった。
 それでも人は今も生きている。平和とは異なるかもしれないが、平和を模倣した時代を生きている。
 何故か。
 人が強者だった?
 人外が弱者だった?
 そうではない。そうではないとアズールは知っている。
 かつてを生きたその経験が確信している。
 弱者が強者を覆すたった一つの道理。
 奇跡ではなく、偶然ではなく、必然ではなく。
 限りなくそれに近いが、果てしなく遠い何か。
 アズールはそれを知っている。バーキアを始めとした、かつての仲間達も知っているだろう。
 誰もが言葉に出来ないかもしれないが、肌で感じ、心に刻まれた経験は何にも勝る信仰だ。
 忘れていた? 思い出せなかった? 目を逸らしていた?
 いいや、違う。
 アズールの中の確信が告げる。
 認めたくなかっただけだ。
 アズールとバーキアと仲間達が勝ち得た何かを他の誰かが知っているなどと。
 誰であれ可能性を持っているものでありながらも、それが自分たちのものだけだと信じていたかったのだ。自分たちが特別だと思いたかったわけではないが、特別な何かがあってもいいはずだと思った。
 そうでなければ。
 詰まらない思考はそこで終わる。恥ずべき嫉妬を自覚しただけでも十分だ。身が焦がれるほどの羞恥が湧き上がってくる。
 かつて勇者と称えられた男だ。もう勇者ではないとしても、その過去までも汚そうとは思わない。それは、それだけは、過去だからこそもう決して触れられないが、過去だからこそもう決して汚されてはならないものだ。
 それはきっと意地だった。アズールの中に残された数少ない何かが持つ意地。
 意地は張り通してこそ意地だ。
 喜ばしくは無いが、驚きをもたらす再会。
 認めたくは無いが、認めるしかない事実。
 つまり、やらなければならないことが一つある。
「前言を撤回させて欲しい」
 単なる夢想家ならば、死んでいた。
 単なる弱者ならば、ここにいなかった。
 生きてここにいるルキには言わなければならない。
「強いとは言わない。しかし、弱さを理由に果てるほど弱くも無い」
 騒がしい酒場も深夜を回れば、客の姿はいなくなる。集まったものにルキが明朝に集合をかけたからだ。女であろうと、若かろうと、一応は金を出すものの言うことは聞く。
 酒場にいるのは金を出すものと無関係なものだけだ。
「それって謝ってるの?」
「いいや、単に自分の間違いを認めているだけだ」
「……ありがと。私も謝って欲しいわけじゃないもの」
 お互い口にするのは酒ではない。酔わなければ言葉に出来ない子供でも、酔いに言葉を任す大人でもない。その合間にいる二人だから素面のまま言葉は告げられる。
「私だってアズールの言葉は身に染みたわ。本当に理解できたかどうか怪しいけど、私の理解が足りてないことだけは確かに分かった」
 そう言うルキには、あのときには無かった経験があった。
 一目見ただけでも分かる。まだ癒えきっていない傷の数々が無言で告げている。
「あの商人たちは?」
「何とか無事送り届けたわ」
「無事、ね」
「そう、無事。あれから誰一人として命を落とさず、送り届けた」
 誰一人として。
 無論、ルキを含めて。
 戦って死ぬだろうと思っていたルキがここにいる。
 ルキは弱い。それでも弱いだけではないことの証左だ。
「あれから人外に襲われたのは三度。そのどれもが私一人では太刀打ちできなかった」
「それで?」
「逃げたわ。倒せるのならばいいんだろうけど、私の依頼はあくまで護送。無理して戦って、挙句に死ぬのはきっと間抜けってアズールに言われるだろうしね」
「死んだやつに言葉は捧げない」
「なら、やっぱり正解ね」
「どうかな。けど、生きて目的が果たせたのなら間違いじゃあないだろう」
 死ねばそこで終わってしまうのだから。
 果てを目指すのならば、いき続けることが大前提だ。
「まあ、運がよかったとは自分でも思うもの。運がよかったからこそ、絶対に手放さないために死力を尽くして」
「だろうな」
 単に逃走を選択して、逃げ延びられるのならば人は人外を脅威とは捉えない。
 逃げることは、ある意味で勝利する以上に難易度は高い。逃げ切らない限りは追ってくるのだから。
 それをルキは達した。
 一つの約束を果たしたのだ。
「覚えてる?」
「別れ際に言われたことならば」
「それで十分よ」
 ――もしも、私があなたの考えを超えたなら。
 そうルキは言った。
 そして実際にアズールの予想を超えて、今ここにいる。
 たとえこの再会に喜びが無くとも、約束はある。
「私のやりたいことを見てもらうわよ」
 是非も無い。
 約束は果たされるためにあるのだから。
 ――アズールの理解を超える可能性を持つルキの生き様を見届ける。

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