かつての誓いと

交わした言葉が失われ
込めた意味が忘れられ
それでもいつか果たされる

怒りの言葉は、意詞に他ならない。
 純粋に力として顕現し、戦場を貫く。バーキアの目にすら映らない力の疾駆は、しかし確かに襲撃者たちを焼き、骨すら残さず灰と変える。そして風が灰を攫うよりも先にバーキアの次の魔法が顕現する。
「翔けよ、光刃!」
 遠く、矢にてバーキアを狙うものたちへと数十の刃が殺到する。バーキアを中心として放射状に広がる光の花弁は風よりも速く舞い、射手たちを余さず貫く。距離という利点を用いて一方的に狙撃する射手たちに防御を担うものはいない。光の刃に貫かれ、次の行動に移る前に光の爆発に飲まれて消える。
 怒りは老いた身体を叱咤し、さらに次を求めるように術式を展開させる。意識領域では次々に構成が編まれ、口は呪紋を詠唱し、赤橙の勇者が振るう純粋な暴力の嵐が戦場に吹き荒れる。
 それでも襲撃者たちはそこにいる。尽きることなく、戦場に立ち続ける。
 怒りはバーキアを駆り立てるが、力が増すわけではない。長年の経験からバーキアは自身の力を扱いに長じ、常に理性により出力を統制している。意志と感情は切り離せないものだが、だからこそ絶対の意志により戦場に立つバーキアの力は感情に左右されない。
 かつては仲間と共に感情のままに戦場を駆け抜けた。
 いつしか独りだけで理性が律する戦場に在り続けた。
 未熟な彼はもういない。かつて思い描いた夢を守り続けるために勝ち続けなければならなかった。感情という不確かなものに左右されるのではなく、理性という鎖によって自らを律した。
 だから怒りはただ駆り立てるだけだ。理性の箍により管理された力を怒りはただ思うがまま撒き散らそうとする。肉体も精神も老いたバーキアは怒りのままに振舞うことは出来ない。呼吸が荒く、身体が熱を帯び、怒りによって乱れた速度が疲労が徐々にバーキアを蝕む。だが怒りを抑えることもできない。いくら理性で自らを縛ろうと、感情がなくなったわけではない。友を失い続けた人生の果てに、自らの生涯の全てに唾をかけられたのだ。
 怒りは正当な権利であり、報復は果たさなければならない。
 自らがかつて思い描いた夢を守り続けるために、何もかもを犠牲にしたのならば、何もかもを犠牲にしなければならない。最も近しかった友ですら踏み躙ったのだ。今更見知らぬ敵に情け容赦をかける度量は持ち合わせていない。
 そしてバーキア・ホーキンスは冷静だった。怒りのままに力を振るう一方で、一つとして油断なく戦場を分析する。意識してのことではない。それこそ半生近くを戦場で過ごし下経験に基づく無意識がバーキアにそうさせていた。
 力が荒れ狂い、確かに襲撃者たちはその数を減じている。既に半数を割り、残った半数も無事とは言い難いものたちばかりだ。
 その無事とは言い難いものたちを未だにバーキアは殺せていない。
 状況が示唆する事実は一つ。
 ついには襲撃者たちの練度がバーキアに追いついた。
 傷を負い、仲間の絶叫に晒されても、力の差から来る絶望を見てもなお、それでも諦めないからこそ次へと至ることが出来る。
 だからこそかつて人外を打倒しえた。
 それこそが人の強さに他ならない。
 一人では不可能だった。仲間がいたからこそ困難を踏破した。
 かつてバーキアもそうだったのだ。心許せる友がいた。戦場を共に出来る仲間がいた。同じ先を目指し、志を揃え、誰もが歩みを止めなかった。
 しかし、今バーキアは一人で戦場に立ち、練度を高める襲撃者たちに追い立てられている。
 こんな現実がかつて自らの目指したいつかなのか。
 何よりも、相手の目標である人を次へと進ませるという行為が今まさにバーキアとの戦いの中で行われている。戦乱によって目的を果たそうとする相手との戦いの中で、これ以上の皮肉はない。
 怒りを越えた先には絶望があった。その絶望へと共に挑む仲間は今どこにもいない。
 一時とはいえ息を合わせ、戦場を共にし、高みを目指す襲撃者たちに嫉妬を覚える。
 そう。紛れもない嫉妬だった。
 だが力として顕現した嫉妬は五重の防護の力にて阻まれる。ついに正面から攻撃が止められ、今まで不明瞭だったバーキアとの力の差が明確に示された瞬間だった。
 一つの基準が作られ、次はその基準をもとに行動が作られる。
 最早バーキア一人ではどうにもならない。怒りに身を任せようとも、自らの限界以上の力を引き出せるわけではない。蝶を合わせればその限りではないが、蝶も無限にいるわけではない。今までの攻防で半数程度まで数を減じている。
 現状を打破するだけならば何も問題はないが、バーキアを打倒するための戦力がこれだけであるはずがない。
 この段になっても騎士たちがバーキアの援軍に駆けつけることはなく、周囲に一切その気配はない。現段階において誰が指揮を取っているかは知らないが、少なくともクレイトスの意思が介在していないことはないだろう。
 バーキアは勇者ではあるが、国に不可欠な存在であるわけでもない。城中にはバーキアよりも位が高いものが多く在中している。中でも女王の身は最優先で守らなければならない。それに加えて王都内に侵入したものたちの対処に人員を割いているのだろう。
 あるいはその結果として相手もこちらへと戦力を避けないのかもしれない。
 もっともその不確かな予測に身を任せるつもりなど一つとしてない。
 赤橙の勇者は見せ札だ。
 騎士に助けられるようでは今後見せ札としての価値がなくなる。信頼とは全く別な理由で、誰もバーキアを助けてはならないのだ。可能となるのはバーキアの隣に並び立つものでなければならない。
 そんな誰かはもういない。
 だからバーキアは一人で戦うしかない。
 しかし、所詮は見せ札だ。予め開示されている以上は対策を立てられる。
 この戦いに目的がバーキアの抹殺による戦乱の幕開けなのだろうとしたら、確実に勝つための策が用意されている。
 勝ち目が見えて初めて勝負とし、なおかつ可能ならば勝利を確実なものとする。
 見せ札を相手にするのならばなおのことだ。相手の全ては曝け出されている。対して自らの札は伏せることが出来、相手にその瞬間まで気づかれることはない。
 ならば在って然るべきものが在るはずだ。
 だからこそ蝶を無闇に使うことは出来ない。襲撃者たちが脅威となったからこそ、詰めの一手が必ず用意されている。バーキアの蝶は見せ札であっても、見せ札の中にあって唯一人には防ぎようのない切り札だ。
 先ほどの獣であっても、一度であれば退けることができる自信がある。
 それだけの力を温存してなお、脅威を覚えるほどとなった襲撃者たちを相手にしなければならない。力の保持に意識は割かれ、さらに襲撃者たちの攻撃に精神が削られる。
 未だ傷一つ負っていないが、襲撃者たちの刃は確実に差を埋め続ける。
 蝶の隙間を縫い、壁を乗り越え、一撃を防ぎ、互いの呼吸すら感じ取れる距離にまで詰め寄っている。まして一対一でも援護があるわけでもない。多数に無勢としか表現の出来ない状況だ。
 怒りは力を増幅させることはない。
 それでも意志と感情は共に在るものだ。先を目指す意志と共に感情が吼えたのならば、先へと至るための何かが在る。怒りはバーキアの理性で縛られた力を撒き散らし、何もかもを曝け出させようとする。
 それは赤橙の勇者の全てはではなく、バーキア・ホーキンスの全てだった。
 理性が蓋をしていた全てだ。怒りに引きずられ、嫉妬が零れ、絶望に巣食われ、懐古に痺れ、不在の現在に咽び、遠ざかるいつかへと焦がれる。
 誰の目に触れることがなくとも、バーキアには全て見えた。ありとあらゆる過去が引きずり出され、戦場の只中にぶちまけられる。
 それがバーキアの全てだった。自らの生涯を経て得たものがそれだった。
 今更何をしたところでどうにもならない。この瞬間に何一つ増えたりはしない。
 新たな決意を抱こうとも、出来ないものは出来ない。
 今まで積み重ねてきたものだけが全てだ。
 だから、出来ることを行った。
「光よ」

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