かつての誓いと

交わした言葉が失われ
込めた意味が忘れられ
それでもいつか果たされる

「人外の脅威がある以上、我々にはそれに対応する義務がある」
 つまりはそれが三国の主張だ。国家である以上、その主張に異を唱えることなど出来ない。
 国とは、人が人外の脅威に立ち向かうためにこそ設立されたものだ。
 センチアレス王国でも同様だ。
 だからこそ、打開策の出ないまま会議が終わろうとしている。
 王女をはじめとし、文官武官の臣たちが頭を揃えているが、未だに先が見えない。
 筆頭魔導師としてバーキアもまた会議の末席にいる。頭の中に無数の考えが浮が、どれ一つとして言葉にすることは出来ずに消えていく。
 国境に接している三国が人外の脅威を認めたからこそ、騎士団を展開した。
 人外を相手にするのならば騎士団の派遣は当然であり、妥当だ。そのためにこそ騎士団は存在している。
 しかし、それも本当に人外が存在しているのならばの話だ。
 大隊規模で騎士団を派遣するからには、それだけの人数に対する準備が必要となる。食料や宿営地だけの話ではない。国内で遊ばせておける騎士団の余力などどこにもありはしない。人外はいつでもどこでも現れるのだ。国内の要所全てに配置されており、そこから大隊を動かすのであれば、大隊編成に伴う再編が必要だ。
 騎士団は確かに国が持つ戦うための力だが、その行使には金や資材といった必要となるものが多くある。その全ては国庫から賄われるのだ。騎士団を展開し続ける限り、国庫は喰われ続けていく。
 国に関わるもので、そんなことが分からないものなどいない。
 つまりは分かってやっているのだ。
 少なくとも脅威として認識される人外は国境付近には一体もいない。派遣している騎士団の一部を斥候として探知結界で探り続けた。その結果は、やはり最初から分かりきっていたものでしかない。結果をまとめ、報告書とし、国を通じて正式に抗議もした。
 それでも返答は変わらない。
 不在の証明が誰にも出来ない以上は、国として抗議を重ねるわけにもいかない。
 人外を相手に騎士団を展開されている中、センチアレス王国は人を相手に騎士団を展開するしかない。それも三国を相手に同等の規模の兵力を。
 そうしなければいざ侵攻が始まってしまっても、対応が取ることもできない。大隊規模程度でまさか侵略戦争など始まりはしないだろうが、しかし完全に否定することも出来ない。
 この国が恨まれているのは確かなのだ。
 人外の獣たちはあちらのせかいからこちらの世界へと侵略してきた。獣たちを排除した今、あちら側の世界の資源は誰もが手にすることが出来るものだ。そしてその門はこの国の中にしかない。
 周りから見れば独り占めしているようにしか見えないだろうが、そのための調査もまだ成果らしい成果を上げてもいない。人と金ばかりが費やされていて、何も利するものが無い状況だ。
 恨まれ、騎士団を展開し、ただ徒に国庫を疲弊させていくだけの現状。
 勿論、国庫を疲弊させているのは周辺国も同様だ。
 足並みを揃えて、国庫を吐き出し、しかし騎士団に動きはない。それでもまだ騎士団はそこにいる。
 目的があることは分かっている。目的があることしか分かっていない。
 何を目論んでいるのか、何を得るのか。それが分からないことには対策の打ちようもない。
 実際に人外でも現れてくれれば、いっそのこと話は簡単だ。打倒しさえすれば、脅威は去ったと通告できる。ただし現実はいつも思うようにはいかない。
 別の人外を探し出して打倒し、死体を突きつける方法もある。しかしそれでは見つけ出すまで時間がかかり、なおかつそのためだけに騎士の命を消費しなければならない。人外を相手に無傷で勝つなど余程の条件が揃わない限り無理だ。偶発的な接触を求め、なおかつ無傷での勝利など前提として成り立っていない。
 あわせて、バーキアにはそれを命ずる権利はない。
 そんな思いつきは基本中の基本だ。この場にいる誰もがそれを理解している。理解していて、なお無言の内に棄却している。
 同様に他の案を考えているものもいるだろう。だが会議の上に言葉として吐き出されることはない。
 だからバーキアの思考の全ては無言の嘆息として吐き出される。
 この場に無能はいない。それでも事態を打開できるほど有能なものがいないのも事実だ。
 無言の想いだけが降り積もっていく。
 そして静かに会議の終了だけが告げられる。
 誰もが抱えている案件はこれだけではない。日常の業務もあるのだ。全員を集めることが出来る時間は限られている。会議の前に誰もが考えをまとめてきたはずだが、口に出せるだけの案にまとまらなかったのだ。あるいは口に出せなかったのだ。
 現状では、こちらから打てる手が一つもない。
 全員の無言がそう告げている。
 その先にある言葉も全員が理解している。
 だからバーキアは少なくとも確認しておかなければならなかった。他人の考えなど本当の意味で見通すことは出来ない。結局のところ、言葉を交わすしか人は意思を確認できないのだ。
 親友と思っていた相手の内情すら理解できなかった。他の相手であれば尚更だ。
「クレイトス元帥」
 会議の終了に伴う人の流れの中、相手の横に並んで声をかける。あくまで声は絞り、目もあわせない。意味があるのかどうか分からないが、向かう先が同じである様子を装う。
 クレイトスもまた同じだ。バーキアに目を向けさえしない。副官にいくつか指示を投げながら歩みを止めずに自らの執務室へと向かう。
「確認したいことがあります」
 声に反応はなく、指示は止まらず、歩みも止まらない。クレイトスは一言もバーキアに言葉を返さないまま人の流れから外れる。バーキアもまたそれ以上の言葉を重ねずに、無言のまま横を行く。
 やがてクレイトスの執務室の前に着き、副官が扉を開ける。クレイトスはそこではじめて歩みを止めた。
「入れ」
 一礼してバーキアは踏み入れる。軍部の最高位である元帥の部屋になど入る機会はそうそうない。報告は副官を通してすることが多く、それも全体会議の僅かな時間の中で行われる。それでも過去に一度だけ入ったことがある。その頃とは部屋の主は違うが、受ける印象はほとんど変わらない。
 ただの執務室だ。
 他の部屋と何が違うわけでもない。他の役職にくらべて部屋の格は勿論違うのだろうが、単に仕事を処理する場所でしかない。決済待ちと決済済みだけが区別された机はバーキアのものと何ら変わりはない。
 何か違いが見出せるわけでもない。部屋の主の印象が変わるわけでもない。
 この部屋の主はバーキアと同じただの人間だ。
 それでもバーキアは頭を下げる。
 相手もまたそれを当然と受けとめる。
 主従関係にあるわけではないが、上下関係はある。単なる力の強弱ではなく、組織の中でこそ重んじるべきものだ。いつであろうとバーキアは軍部元帥を相手に頭を下げなかったことはない。勇者となっても、筆頭魔導師となっても変わらない。
 国の禄を食む身である以上は仕方がない。
「それで何の話だろうか」
 クレイトスが自らの席に着いたのを見て、バーキアもまた腰を下ろす。手元に茶杯が運ばれる様子がないのは、相手にそう長く付き合う気がないということだ。
 バーキアもまた長々と下らない話をするつもりもない。確認したいだけだ。
「この状況について元帥としてどう考えておいでです?」
 前置きとしての問い自体にほとんど意味は無い。どう考えていようとも、具体的な対策案が一つも出ないままに会議は終わったのだ。
「数回にわたる警告を無視してまで騎士団を展開し続けているのだ。何か目的があるのは明確だ。相手もそれを隠そうとはしていない。そしてそう長いこと散財し続けるわけにもいかない以上は近い将来に行動を起こすだろう」
 クレイトスもバーキアと同様の理解をしている。それを確かめた上で、バーキアは問う。
「ならばどうするつもりで?」
「別段何もしていない。普段どおりだ」
「初手は譲ると?」
「出来ることがあるのなら既にやっている。それはホーキンスも同様だろう」
 警告は当然だが、平行して情報収集も行っている。相手の狙いが分かれば対策が打てる。しかし、成果は芳しくない。元々が対人外用に組織され、訓練された人員だ。人を相手の諜報活動などを一朝一夕で出来るわけもない。そのような人材の育成にはまた長い年月がかかる。
 戦いに対する訓練も同様だ。バーキアの持つ知識と経験を後進に残すためにも、日々の訓練にはバーキアも参加している。もっともかつてのバーキアの相手は人外だったのだ。人間を相手にした訓練の仕方など分かりはしない。
 人同士、というよりも国同士の武力抗争など誰も考えていなかった。
 当面の人外の掃討がなされたからこそ、より貪欲に自らの欲を満たすために行動できるのかもしれない。だとしたらこれもまた平和が生んだ一つの結果なのだろうか。
 バーキアの下らない自問に答えへ生まれない。代わりに思い出したのは、バーキアを人類の害だと言った言葉だ。
 平和は人を腐らせる。騒乱こそが人を先へと進める。
 正しくこの状況は、あの言葉の通りとなっている。
 嫌な符合の一致だが、個人に三国を動かせるだけの力があるとは到底考えられない。ましてそれだけの力を持つ組織が暗躍するのであれば、何かしらの気配は感じるはずだ。
 何も感じることが出来ないからこそ、今の状況は不気味だ。
 そうして相手の思惑が理解できるときは、相手が全ての札を開いたときとなりかねない。必殺の状況が整ったからこそ札を開き、既にその状況に至った時点で勝敗は決している。
「こちら側に切り札がないことを相手も理解している。だからこそこれほどまでに強気な姿勢でことに望めている」
「そうでしょうね。かつてであれば違ったのでしょうが、今となっては赤橙の勇者の名は見せ札に過ぎない。対処さえしてしまえば、無力化してしまう」
 老い、力が衰えつつある現状であっても、現在展開している騎士団の一団程度なら打破でいるだけの自覚はある。しかし、同時に三面を相手にすることは出来ない。そのためにバーキアは王都へと縛り付けられ、十分に身動きを取れないでいる。
 かつては違った。バーキアが真に頼れる仲間達がいたからこそ、バーキアもまた自由に動けた。その仲間の全てはバーキアを一人残して、全てがこの世を去った。長年の約束を果たしに帰還した親友は、自らの手で葬った。
 仲間もいなければ、後を任せることの出来る後進もいない現状は、バーキアのやってきたことに対するつけだ。正しいと信じて行ってきた全てが裏目に出始めている。
 だからこそ、なんとしても飲まれるわけにはいかない。
 全てが間違っていたとしても、正しいと信じて行ってきたのだ。
 自らの守りたいものを守るために。
 諦めに屈する膝は持っていない。
「国としては勿論警戒を密に行っているが、何が起きるかも分からない状況では限界がある。もっとも、そんな状況の中でも騎士たちはよくやってくれている」
「ええ、全く頼りになる限りです」
「勇者が長くいてくれるからだろう。確かに後進を育てるという点では後れを取っているが、だからといって勇者の存在が不要だというわけでもない」
「そうだといいんですがね」
 確認したいことは確認した。最早国として打てる手は全て打ち尽くされている。
 あとはどれだけ自らが出来るかだろう。
 勇者の名は見せ札となり、相手は既に対処している。だからこそ相手の予想を超えるだけの力があれば、状況を覆す可能性へとつなげられる。どれだけの時間が残されているか知らないが、やれることはすべてやる。
 そのためにも一刻も無駄には出来ない。
「貴重なお時間をいただき、まことにありがとうございました」
「折角だから、私の問いにも答えて欲しい」
「私に答えられるのであれば」
 腰を浮かせた以上、また座るつもりもなかった。クレイトスと同様にバーキアもまた必要以上に時間を割くつもりは無い。
「何故、そうまでして国に尽くす?」
「それは……軍部元帥が問う言葉ではないですね」
「勿論だ。これは私個人の興味から来る問いだ」
「そんな個人的な問いに答える必要があると?」
「最期に教えてくれてもいいだろう。どうせ私ももうそう長くはない」
 そう言って深く腰を沈めたクレイトスは普段以上に老いて見えた。
 それでもバーキアに比べて一回りほど若い。お互いに若いという言葉は相応しくないだろうが、事実だ。
 それでも殊更力に秀でているのでもなければ、人は老いて死ぬのだ。バーキアより若くとも、クレイトスはバーキアよりも死に近い場所にいる。
「私には実際的な力は何もない。生まれた家がたまたま権力に近く、求められたことを達成してきただけだ。それなりの暮らしを知ってしまったから、維持するために達成し続けてきた。本当にそれだけだ」
「……私もきっとそうですよ。勇者という名のお零れを頂戴しているだけに過ぎない」
「それならばもう十分だろう。友を自らの手にかけてまで尽くす必要は無いはずだ」
 その命令を下したのはクレイトスであり、拝命したのはバーキアだ。
「私はあの時、殺されると思っていた。恐怖を感じるよりも先に、それが当然だと思っていた。かつて双色の勇者たちが築いた平和の上に胡坐をかきながら、今更になって紫紺の勇者を殺せと命じたのだから」
「そんなことをして事態が好転したのなら、間違いなくしたでしょうね」
 そうではなかった。だからそうしなかっただけだ。
 怒りも憎しみも感じたが、全ては自分の無力さに対してだ。命令を受け取ることしか出来ず、友を葬ることしかできず、ただ嘆くしかできない自分に対してだ。
「私たちの中で直接紫紺の勇者を知るものは少ない。たとえ知っていたとしても、人外となった以上は捨て置けない。勇者の偉大さを知っているが、それは人外の脅威を知っているからだ」
 きっとそれが当然なのだ。
 勇者の名が風化したとしても、人外の脅威は消えない。
 アズールだったからこそ、バーキアは信じられた。そうでなければきっと同様の反応を取っていただろう。
「それでも彼は友だったのだろう。それなのに何故今もなお国に尽くせる? この国に何がある?」
「別にこの国に何かあるわけではありませんよ」
 ただいつでも思い返せば、胸の中にあるものがある。
「私は私の誓いを果たしたいだけです」
 かつて交わした、いつか果たされる誓いを。

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