かつての誓いと

交わした言葉が失われ
込めた意味が忘れられ
それでもいつか果たされる

 若き夢は常に求め続ける。
 無限の忠誠。永遠の奉仕。万能の権限。
 差し出し続けなければ、この手を離れてしまう。
 しかし、全てを差し出したとしても、この手が届くことがないことを知っている。
 それでも追わなければならない。追わなければ完全に失ってしまう。
 追い求めて届くことがなくとも、可能性の喪失は何よりも恐ろしい。
 自らが夢の奴隷であることなど分かりきっている。
 そのために何をしてきたか、忘れるはずがない。
 何もかも全てを自らの意思によって行ったのだ。
 嘆くことも後悔してもならない。それこそが夢に対する最大の裏切りだ。
 夢を追うと決めた。夢を手に入れると決めた。
 そのときから、夢の奴隷となったのだ。
 同じ夢を追い、誓いを果たしたものですら犠牲とした。
 そうまでしても奴隷であり続けることを望んだのだ。
 ホーキンスの名を得る前に、勇者となる前に、既に捧げていた。
 夢を見てしまったのだ。僅かとはいえ可能性に触れてしまったのだ。
 今更どうも出来ない。夢の奴隷であり続けることだけが許されているに過ぎない。自らの首から伸びる鎖の先がどこに繋がっているか分からないが、首は確かに引かれる。抗うことが出来ないわけではないが、それすら失ってしまえば、自らが誰であるかがわからなくなってしまう。
 鎖に繋がれることを自ら望むしかない。
 鎖は常に引かれる。果たして鎖に引かれる自分が自らの足で立っているのか、鎖の先を見ているのか、それすらも分からなくなることがある。ただ鎖に引かれるだけの自分など唾棄すべきものだが、それでも途轍もなく楽なことに間違いはない。
 自らの行動の基準を自らの外に置いてしまえば、考える必要も無い。ただ一つの基準に対する是非だけを自動で判別していけば、全てが完了するのだ。ひたすらにそれをこなすだけの生とも呼べない生となる。
 だから常に自問する。
 正誤の判断はつかず、仮に答えがあるのだとしても、きっと納得しないことは分かっている。
 夢の奴隷であり、鎖に引かれ続け、そうであるのならば、そうであり通す。
 決意とはそういうものだとバーキアは思っている。
 その決意があるからか、今も不思議と心は落ち着いていた。そうでなければ待ち望んでいたのだ。
 都合のいい結末などありはしないことはよく知っている。争いが起こらず、誰も嘆かず、穏やかな時が流れるだけの日々はありえない。人にとっての最大の脅威である人外が存在し、加えて人同士の争いを望むものまでいる。平和だと錯覚することは出来ても、世界のどこにも万人の平和などありはしない。
 それが現実だと厭というほどに知っている。厭というほどに教えられた。
 事態は当然のように展開し、起こるべくして起こる。
 事態が動いた以上、変化は訪れ、結末が現れる。
 どうしたところでこちらから打つ手がなかったことには変わらない。膠着により疲弊した精神が変化を待ち望んだとしても、何も不思議ではない。
 何もかもが相手の予想通りなのだとしても、この変化の中で活を掴まなければならない。
 それだけが確かなことに変わりない。
「それで、なんと?」
 既に必要と思われる顔ぶれは席についており、バーキアが最期の席を埋めた。ただ副官を通して会議へと招集されただけだ。前後の状況が分からず、ただ現状だけが知らされた。
 国境へと配置されていた三つの騎士団の撤退。
 展開も同時なら、撤退もまた同時だった。
「人外の脅威が去ったことを確認したそうだ」
 馬鹿にした話だ。今まで散々そう報告していたにもかかわらず、確認できないと頑なに撤退を拒み続けていたにもかかわらず、確認できたから撤退した。この場にいる誰もそんなことを信じているわけではないが、相手国が正式に発表した以上は表立って文句を言えるわけもない。
 この国は弱い。一対一ですら対等に持ち込めるかどうかだ。三対一となってしまっては対処の仕様がない。出来るのは、こうして会議の場に不機嫌な顔を並べることだけだ。
 元より相手の思惑もわからなかったのだ。不明なままの膠着よりも、相手の思惑が感じられる動きのほうが余程いい。
 そう感じられるのは、極少数だけだ。本来であれば、人間は死中に活を見出すようなことはしない。そもそも死中へと入り込まないようにするのが基本だ。
 しかし、そうしなければならなかったものも、そうなってしまったものもいる。
 そしてこの場にいるのは、死中に活を見出したからこそ、生き残ったものたちだ。
 バーキアを始めとして、戦場を経験したものや、政争の中で同様の経験をしたものだけが不機嫌ではなく、意思を見せていた。
「既に全隊へとさらなる警戒を行うように通達してある」
 中でもクレイトスの動きは機敏だった。
 以前の話では、家柄によって元帥の地位に立ったと自らか立ったが、勿論それだけであるはずがない。クレイトスの家柄は確かに優れているが、同等の家柄は幾つかある。その中で誰もが後ろ盾による推薦を受けたのだろうが、それでもクレイトスが今の元帥だ。そうなるだけの能力がないはずがない。
「だが、それでどうにかできるわけではない。あくまで事が起こってからしか反応できない。相手の意図が不明である以上は、未然に防ぐことは不可能だ」
 打てる手を打っても、後手に回るしかない。先手を取ろうと思おうにも盤上を挟む相手の姿すら誰も見えていない。
「確実に何かを仕掛けてくる。それはもう市民ですら分かっている事実だ。ここ最近の不安の表れは、治安の悪化にも見えている」
「しかし、何をどうするつもりだ? 仮にわが国が恨まれていたとして、三国が共謀したところで、実際的なことは何も出来ないはずだ。この国を潰せたとしても、それを他の国が許すはずがない。国家間の戦乱の火種となると分かっていて、実行するものはいないはずだ」
 誰もがそう思っている。当然のことだ。
 国とは人間が人外に対するために作り上げた共同体だ。そして人外を撃退していき、人外領域を削り続け、国と国が出会ったのだ。それは間違いなく喜ばしいことだったに違いない。狭い国の中でしか知らなかった人間が異なる場所で生きる人間と手を取れたのだ。これが喜びでなくて何というのか。
 それも昔の話だ。国という壁が逆に人外だけではなく、人間までも遠くしてしまっている。
 人間は増えすぎた。国と国が出会い、人間の更なる安全が手に入り、だからこそ人は食われることなく増えた。増えた人間を養うためにはさらに資源が必要となるが、限られた国土ではいずれ限界がある。かといってかつてのように人外領域に手を出すには、危険が大きすぎる。
 他には人の領域しかなかった。異なる国に属する人の領域だ。
 王とは自らの国を守るものであり、その責務がある。
 いつからそうなってしまったのかは分からない。だが王もまた人であるなら、その手で守れるものは限られてくる。責めることが出来るのは、その場にいないものだけだ。
 人は人から奪える。
 紛れもない事実であり、バーキアは自ら経験している。
 自らの未来のために、友の未来を奪ったのだから。
 他のものが出来ない道理などない。
 だからこそバーキアには確信があった。
 騎士団を撤退させたのは、十分な準備が整ったからだ。何をどうするつもりなのかは全く分からないが、何かをするつもりなのは確かだ。
 必要な時機を見計らう?
 それならば騎士団を撤退させる必要など無い。十分な準備が出来るまで騎士団を展開し続ければいい。
 これ以上間をおく必要などどこにもない。
 全速で全力を叩き込む。対人外において当然のことを、人間相手にしないわけがない。
 少なくとも自分ならそうするとバーキアは考える。そうしない理由がどこにもない。
 この瞬間に仕掛けてこないなら、むしろ気が楽になる。
 気の緩みを狙うのだとしても、意味が無い。時間を置くということは、時間を与えると言うことに他ならない。今はまるで尻尾もつかめていないが、時間さえあれば確実に捕まえてみせる。それが出来ないものは、この場にはいない。
 万金ですら贖えないこの貴重な時間を出血させ続けるだけの相手ならば、何の問題もない。
 だから、こんな話し合いには意味など露ほどもない。
 拳は振り上げられ、あとは叩きつけられるだけだ。
「――来た」
 バーキアが限界まで広げていた探知結界に反応があった。
 力の偏在が発生し、バーキアへと情報を伝える。
 その情報が持つ意味を理解し、それ故にバーキアの反応は遅れる。
 何もなかった場所から、突如として力が顕現した。
 その事実がバーキアを揺さぶる。間違いだとは思わない。自らの戦いを常に支えてきた感覚だ。間違うはずも疑う余地も無い。
 力は王都の直上に顕現した。
 転移魔法?
 バーキアの中で咄嗟に言葉が浮かび上がるが、即座に否定する。おぼろげな理論だけは叫ばれ続けているが、それを実行するには人外にも匹敵するだけの力が必要となる。人間が可能と出来る領域の魔法ではない。
 そして、その通り顕現したのは人間ではなかった。
 かつて打ち倒したはずの存在がそこにいた。
 漆黒の体躯に血よりも赤い瞳。全てを平らにするために世界を放浪した人外。
 獣の牙が現実として王都へと突き立つ。

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